地元の友達が飲み会の席で、ふと言った言葉だ。
僕は、聞こえなかったふりをして別の話題を振り、彼の言葉をなかったことにした。
久しぶりに帰ってきた田舎で、意味のない裁判に付き合うのを避けたかったからだ。
『あれだけ愛したのに』
『あんなに大切に育てたのに』
『あの時に一番世話したのは私なのに』
『こんなに良くしてあげたのに』
よく聞くセリフだ。
僕はこういうセリフを聞くたびに、少しだけ寂しい気持ちになる。
ある国では、もらう側が感謝するのではなく、あげる側が感謝をするのが当然という文化がある。
プレゼントするときには、プレゼントしたいと思えるような仲間がいることに感謝をしながら渡し、ご飯を振る舞うときには、ご飯を振る舞える環境にいることを感謝しながら振る舞うそうだ。
だから、プレゼントを渡して、仮に喜んでもらえなかったとしても怒ることはあり得ない。
『あらぁ、悪いことをしたな。次はもっと喜んでもらえるように工夫しよう!』
となるのだ。
仮に振る舞った食事にほとんど手をつけてもらえず、感謝されなかったとしても怒ったりしない。
『口に合わなかったかな。配慮が足りなかったなぁ。次はもっと喜んで貰えるようにしよう!』
と、なるそうだ。
そもそも、親切をする時の心持ちが違うのだ。
その国の人たちは、自らを満たすための最良の方法が、親切であり善行だということ理解しているのである。
さて、僕たちはどうだろう。
少なくとも僕は、小さい頃から、
『人の為に親切をしなさい』
と誰からともなく教わってきた。
だから僕は、
『親切をしたんだから、感謝されて当然』
という解釈を持って大人になったのだ。
そんな押し付けがましい親切なんて、誰も嬉しくないはずなのに、、、。
そんな僕を変えてくれたのが日本メンタルヘルス協会の講座である。
衛藤先生は教えてくれた。
人の為と書いて『偽り』と読む、と。
僕はその時、心のつっかえが取れてとても納得したのを覚えている。
『恩着せがましい行為をした上に感謝を求めるなんて、とんでもないことをしていたな。』
と、反省させられたのを今でもしっかり覚えているのだ。
とはいえ、ひと昔前の日本にも、そもそも憧れるべき文化はあったように感じる。
『情けは人の為ならず』
そう、相手に施して一番の恩恵を受けるのは自分だということは忘れてはいけませんよ、という意味です。
『世の中で一番尊いことは、人の為に奉仕して恩に着せないことです。』
これは福沢諭吉の言葉です。
そう、ひと昔前にその気付きを伝えようとしてくれる人がこの国にも確かにいた。
先ほど、ある国の事例として挙げたことは、実は日本でもかなり前から気付いており、語り継ぐべきだと言われていた文化だったんですね。
ただ、どれだけ定着しているかというと話は別だが、、、。
さぁ、今僕が出来ることはなんだろう。
見慣れた雪景色に別れを告げ、本拠地大阪に向かう電車に揺られながら、そんなことを考えていたのでした。