こんにちは。104サイクル店主Toshiです。今日は、元競輪選手として競輪界の独特な文化である「師弟関係」について、ちょっと疑問に思うことを書きたいと思います。

 

競輪選手を目指す人にとって、師匠の存在は大きいですよね。技術や知識を学び、プロの世界で生き抜くためのサポートをしてくれる、まさに「導き手」です。でも、現実の競輪界の師弟関係って、果たして理想的な形なんでしょうか?

 

競輪界では、知り合いやつてがない場合、各県の選手会が紹介してくれる選手を師匠にすることが多いんです。確かに、これで師匠が見つかるのは助かるんですが、ちょっと待ってください。師匠って、本来は弟子の側が「この人の下で学びたい!」と強く願って選ぶものじゃないですか?リスペクトや憧れがあってこそ、師匠と弟子の絆が生まれると思うんです。

 

でも、選手会のお膳立てで決まった師匠だと、場合によっては「特に尊敬もしてないし、ただ紹介されただけ」という関係になりがち。そこに本当の信頼や情熱が生まれるのか、疑問を感じます。競輪はメンタルも技術も厳しい世界。師匠と弟子が心からつながっていないと、きつい練習やレースのプレッシャーを乗り越えるのは難しいんじゃないでしょうか?

 

もちろん、紹介された師匠でも、時間をかけて信頼関係を築ければ素晴らしい師弟関係になることもあるでしょう。でも、最初から「この人を師匠にしたい!」という気持ちがない場合、なんか無理がある気がするんですよね。師匠側も、弟子を取るなら本気で育てたいと思う相手を選びたいはず。選手会の紹介制度は便利だけど、もう少し選手自身の意志や相性を尊重する仕組みがあってもいいんじゃないかな?

 

競輪界の師弟関係って、もっと熱いもの、深いものになる可能性があると思うんです。選手一人ひとりが「この人の背中を追いかけたい」と思える師匠に出会えたら、競輪界全体ももっと活気づくんじゃないでしょうか。みなさんはどう思いますか?

 

 

なので疑問に思った私は、他のスポーツの師弟関係を調べてみました。競輪では選手会が師匠を紹介するケースが多く、リスペクトや情熱が薄い関係になりがちな点にモヤモヤを感じますが、他のスポーツではどうなのでしょうか?

 

ボクシング:信頼と絆が鍵

ボクシングでは、トレーナーと選手の師弟関係が非常に重要です。例えば、マイク・タイソンとトレーナーのカス・ダマトの関係は有名。ダマトはタイソンを技術面だけでなく精神面でも支え、家族のような絆を築きました。ボクシングでは、選手がトレーナーを自分で選び、尊敬や信頼を基盤にした関係が一般的。競輪のように「紹介で決まる」ケースは少なく、選手の意志が強く反映されます。リスペクトがないと、過酷なトレーニングや試合での信頼関係が築けないからでしょう。

 

柔道:道場文化と師範の影響

柔道では、道場の師範やコーチが師匠の役割を果たします。選手は幼少期から道場に通い、師範の指導のもとで技術や礼儀を学ぶことが多いです。例えば、オリンピック金メダリストの野村忠宏選手は、父が経営する道場で育ち、父や師範への深い尊敬がモチベーションでした。競輪と違い、師弟関係は長年の付き合いの中で自然に築かれることが多く、選手が「この人に学びたい」と選ぶケースがほとんど。選手会の仲介のようなシステムは見られません。

 

サッカー:コーチとの短期的な関係

サッカーでは、監督やコーチが師匠に近い役割を担いますが、師弟関係は競輪やボクシングほど固定的ではありません。例えば、クリスティアーノ・ロナウドはアレックス・ファーガソン監督を「サッカーの父」と呼び、深いリスペクトを示していますが、選手はクラブ移籍などで指導者が変わるため、関係は比較的流動的。競輪のような「師匠固定」の文化とは異なり、選手が指導者を選ぶ自由度は高いですが、組織的な紹介制度もありません。

 

競輪界との違いと課題

これらのスポーツを見ると、師弟関係は選手の意志や尊敬に基づく場合が多いです。ボクシングや柔道では、選手が「この人から学びたい」と選ぶプロセスが自然で、リスペクトが関係の基盤。一方、競輪の選手会による紹介制度は、効率的ではあるものの、情熱や相性を後回しにしがち。信頼関係を築くには時間がかかるし、最初から尊敬がない場合、師匠と弟子の間に溝が生まれるリスクがあります。

 

他のスポーツの事例から学ぶなら、競輪界も選手が師匠を選ぶ自由度を増やしたり、相性やリスペクトを重視する仕組みを取り入れると、もっと強い師弟関係が生まれるんじゃないでしょうか。どーだろ?