まもってきたもの | 少しずつ

少しずつ

いつも後回しにしてた自分のこと
これからは大切にして生きよう
少しずつでいいから


人には

それぞれ


まもられてきたものがある




いや、まもってくれてるものかな









それが


人のやさしさだったり


大切な人の形見だったり





時に


病気だったり…









わたしの母は

脳動脈瘤と診断されてから

35年ほどになるのかな




毎年のMRI検査では


数ミリずつ動脈瘤が大きくなっていて


破裂することへの怖さを


わたしはずっと抱えていました










ここへ来て


「MRI検査の結果」

「動脈瘤の破裂の心配がなくなりました」



との報告をいただいたのです








血流が変わった???

どういうこと?



素人のわたしにはわからない感じですが




「良い結果でした」




とのことなので、良かったーーー!


と大泣きしました











一方、母は


検査結果が腑におちなくて

困惑しているようです









母にとっては、35年ものあいだ


ずっと母を まもってきたもの




それが「脳動脈瘤」だったんだろうな







「脳動脈瘤」があることで


母は まもられてきたんだろうな








そんな


「脳動脈瘤」なんてなくたって






母はまもられている存在なのに









それがないと



母はまもられている感覚が


わからなかったのかも知れない…






ずっとずっと


「脳動脈瘤」のおかげで


母は まもられている幸せを


感じてきたんだろうな






みんなにやさしくしてもらって


「大丈夫ですか?」


と声をかけてもらって













そう思ったら





涙が止まらなくなりました












わたしには



母の「脳動脈瘤」に値する





たくさんの


「わたしをまもってくれていたもの」



があります








それは「会社の借金」とか


「特異体質」とか





手段としては


「拗ねる」とかね







他にも


たくさん たくさんあります









借金があったことで




人に助けてもらう


という経験を幾度となくさせてもらったし




実際に

借金があっても なくても


まもられていた






という両方の経験ができたことは






まもって欲しい


愛される存在になりたい




と母に対して感じていた

わたしにとって




一歩ひいて



あれ?





○○がなくても

○○があっても



っていう


その○○




要らんやん!と気づけた瞬間でした





いままでありがとうと

たくさんの○○を手放しました






そして


「もう、心配ないよ」


と言われて元気がなくなる母を




じぶんと重ね合わせて





「うんうん」

「突然そんなこと言われても困るよね」



と共感して

涙している わたしなのでした





そんな

母と娘  ウケるよね





笑ったり泣いたり


忙しい朝です





たくさんの御加護に



そっと手をあわせています











ありがとうございます


よん♡