家族から相談を受けたり
元気がなさそうに見えたりしたら…
全力で
頭フル回転させてた
あの頃。
何とかしようとしてたなぁ…
何とかできると思ってたなぁ…
先月
関東であった とあるライブ
一緒に行かない?と
次男に誘われて
行ってきた
勤務先が関東の
次男とは
電話やLINEで話すことはあるけど
会うのは 久しぶり
ライブ終わりに
急いで新幹線に飛び乗るより
いっしょに 食事をして
一泊して帰ろうと
ライブ会場近くに
宿泊先を予約していた
そして
平日の日課である
孫っち (長男の娘) の
保育園お迎えを担っている
ばぁば (←わたし)
翌朝には名古屋へ帰ることを
次男に伝えていた
コロナ感染防止に配慮された
ライブを楽しむ
その楽曲や ステージ上の演出が
からだ こころ
あらゆる感覚に
響いてくる
涙が しずかに流れる
わたしの目に映る
この大勢の若者たちは
アーティストが歌う
この詞を理解しているのか…
していないのか…
理解しようと思考したのなら
こんなふうに
エネルギーは動かないのかもしれないなぁ
第三者的な視点で観察し
ブツブツと しゃべる声が
からだの中から聴こえる
光が注がれるステージは
わたしが いままでに観てきた
ステージの光とは
まったく違うものだった
そして
照明を抑えた 客席では
観客の動きは
真っ黒な影が
コマ送りに動いているように見えた
その真っ黒な
いくつもの影たちが
時折
手のひらや 手の甲 そして 腕で
涙を拭いながら
ステージ上を まっすぐ見つめる
また
思う存分 発散すること
歓びを表現することに制限がありながらも
そこに集う人々のハートが
一瞬にして
無造作に繋がっていく
そこには
意図して
つくり上げられたものではなく
個々の光
そのものがあった
ステージ上に掲げられた
陰陽☯️
ボーカルの女の子が手にするのは
マイクと
巫女さんや神楽等で使われる
三番叟鈴 (さんばそうすず)
ステージ上で歌う
その表情は 明かされることなく
大きなスクリーンに映し出される時にも
見事なまでに
カメラアングルが
凝ったものになっていた
姿は そこに
ステージ上に みえるのに
照明灯によって
明かされない
まるで
神代神楽のようだ
細部にわたり
いままでの わたしの中の経験値を
ひっくり返す
真新しいものだった
ライブ終わり
息子とふたりで食事をした時に
「歌っている歌詞の意味はわかるの?」
と、聞いてみた
すると
「わからないものもある」という
わからないまま
それでも惹かれるのは
こころとからだが反応しているのかな
そういう わたしも
いままでには
歌詞が響く メロディが届く
そんなことを 感じて
好んで聴いてきた 歌があった
そして
今回ばかりは
歌詞を理解しようと聴いていたら
涙は溢れないのかも知れない
そんな新種だった…
「お母さんは、わかるの?」
とたずねられて
「わたしの感じた解釈はあるよ」
「この人たちの楽曲を聴いていると」
「セルフカウンセリングみたいな」
「なんだろう…」
「何度も涙が溢れたよ」
「要らないものが流されてく感じ」
「意味はわからなくても」
「いいんだと思う」
「よく見つけたね」
「誘ってくれてありがとね」
そういうと
にこっとした息子の瞳が
うるうるとして
つーーーっと涙が頬をつたった
支えになっているんだろうなぁ
息子にとって
アーティスト
ずっと真夜中でいいのに。
ありがとうございます
行きたいと思って
調べていた神社
朝 名古屋へ帰らないと
保育園のお迎え 間に合わないなぁ
なんて・・・
諦めてたけど
武蔵一宮
大宮 氷川神社へテクテク歩く
歩く 歩く…
一の鳥居から
どんだけ歩くん?
・・・・・・・・・・・・・♡
30分近く歩き
この橋を渡り
ようやく本殿にたどり着いた
すると
境内に風が舞い
たくさんの木々から
雨粒といっしょに
葉っぱが降り注いだ
「わぁ~」
両手を広げて
天を仰ぐ 母
スマホで 動画を撮る 息子
その目に映ったもの
こころに届いたものは
その時
母に そして 息子に
それぞれに
必要なメッセージだっただろう
ありがとうございます
よん♡