恩師が亡くなりました。
その落ち着いた話方と、優しさと、ユーモアが亡き父にそっくりでした。
短大を出て間もなく、父の死、彼の死、父の死因をめぐっての国を相手の裁判、義理の兄の暴力、姉の離婚、たたみかけるような出来事が続いていた時、
誰よりも親身になって下さった先生でした。
地裁で裁判が棄却され怒りに震えた日、地方の新聞やテレビで放映されました。
職場や親せきから犯罪者を見るような白い目で
「恥さらし」とののしられた時…。
先生は、そのことには触れられず、ただ、自然の優しい風景や小動物達のかわいいしぐさをつぶさに描写したお手紙をくださいました。
私はその背後にある深い思いやりに心の底から涙を流しました。
それから、40年。
筆まめな先生は何かにつけてお手紙をくださいました。
姉がガンで逝った時も、母と私を心からいたわってくださいました。
昨年、小学校の恩師も亡くなりました。
その先生も小学校の頃からの「○○ちゃん」と言う名前で私を呼んでくださっていました。大好きな先生でした。
いつもの様に野菜を持っていったら、ご不在で…。
その先生もお子さんがおられないので、近くの姪御さんにお伺いすると、癌の末期でもう意識も…と。
お見舞いに行くこともできませんでした。
○○先生も、いつどうなるかわからない…と思った私は先生にお願いして
窓から見える秋の風景画を描いていただきました。
それが届いたのが、1月24日。
お電話でお礼を言った時は、お元気でしたのに、それからの発病でした。
もう、ずっと前に先生から頂いた「海王丸」。
昨年、2つも花が咲きました。
4月に、すい臓がんの末期だと知り、お手紙と一緒にポポの写真を送りました。
「ワンちゃんの凛々しい写真をありがとうございます。」
と最期のお葉書を頂きました。
先日、我が家にできたビワと母の梅ジャムを送りました。
もうほとんど食べられない先生の舌にわずかでものせていただければと願いました。
でも、そのビワが届いた日の夜、お亡くなりになったそうです。
先生はラインをされないので、先生からお葉書を頂くと、忙しい私はお電話を差し上げていました。
そのゆっくりとした優しい丁寧な会話の一つ、一つがよみがえります。
10年位前にお会いしたのですが、もう一度、会いに行けばよかった…と思います。
先生もお子様がいらっしゃらないので、一人遺された奥様の事を思います。
「これが年をとるということですよ」
といつか言われていた先生。。。
こうやって、大事な人との別れを重ねて、母ともわかれて、最後の最後は一人きりになって、
・・・・。
これが生きていくということですよね。
先生。。。。
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皆様、いつも本当にありがとうございます。