30数年前からの自分の物語を写し書いています。

今現在の事ではありません。 (1991年晩秋31)

 

 今日は酷い頭痛で何度も吐きました。医者に行って痛み止めと吐き気止めの点滴をしてもらいました。夜中の1時になって、やっと治まりました。

 それは心臓の鼓動に合わせて頭蓋骨にハンマーを振り下ろされるような痛みなのです。頭痛を知らない人が突然この痛みに襲われれば、脳腫瘍か脳梗塞を疑う痛みだと思います。

 これは小学校の頃から月に一度は襲ってきます。私の祖母も母も姉も同じ頭痛持ちなので遺伝なのだと思います。

 この頭痛は市販の鎮痛剤はもちろん、医者から処方される鎮痛剤も効きません。もし、余りの痛さに飲んでしまえば、ほんの一呼吸ほどの和らぎを得た見返りに、その後、ダムに溜められた痛みが一気に放流されるような怒涛の責め苦が待っています。

 這うようにしてトイレに行き、上か下から吐き下し、冷たい汗を流して、極度の低血圧に倒れ込みます。

 生理前には必ず来ていた頭痛ですが、最近は月に何度も頻繁に襲われるようになりました。

 理由はわかっています。私だけ何個も現場を掛け持ちさせられ、私だけ県外の現場まで持たされ、人間関係は最悪だし、不公平だと抗議しようものなら、何とでも理由を付けて契約を打ち切られるからです。小説の勉強なんて一日も、一時間も、一分もできないからです。

 もう、八方塞がりなのです。出口がない!

 そうでなくても時間がないのに、歯ぎしりしながらベッドに横たわっています。そんな激しい痛みの中でも、頭は冴えわたり、私はこんなところで何をしているのだろうと涙が出てくるのです。

 頭を抱えながら、昨日のある女性事務員と職人さんとの会話を思い出していました。

 「あんたんとこは大企業の職員さんだから給料もいいんやろう。うらやましいなあ。臨時雇いとかじゃないんやろう。わしらなんか日雇いやからな。」

 「もちろん職員よ。」

 彼女は自慢げに答えました。

 私は思わず振り向いて女性事務員の顔をみました。陰りのない顔ですましています。

 嘘!。契約社員じゃないか。職員と同じ仕事、いやそれ以上に働いても低賃金のまま。昇給なんかあるわけもない。男性なら上級試験もあるのに、女性には何十年働いてもその門は閉ざされているどころか、門自体がない。

 そうか。あの人達は自分の受けている差別を差別だと感じていない。それどころかこの「大企業」の看板をありがたがってる。そう言えばあの人達は世間から批判される「談合」も日本の文化だと嗤っていた。

 彼女たちは面従腹背どころか、心の底からこの会社が自慢なんだ。この会社に繫がって働けることに生き甲斐さえ感じているんだ。

 どうして同じ立場のはずなのに、腹の底に不条理の怒りを持たないでいられるんだろう。

 どうして私だけこう生きにくいのだろう。

 どうしてこんな道に迷い込んでしまったんだろう。

 そうだ…。私なんか、たとえ地獄の底で喘いだ経験をもっていても別に何の役にもたたない。まして神の模倣者と言われる小説家に等なれる訳がない。それで仕事を辞めるなんかもっての外。神様はそう考えておられる。

 私の限界は、この毎日の頭痛で示されている。

 

 モグラは地を這いずり回るか、もぐり込むしかない。あの青空は永遠の憧れ。モグラの涙は虚しく地面に吸い取られていく。

 

 人にはそれぞれ分と言うものがある。私の分は与えられた職場で大人しく仕事をして、教会に行って、目を伏せたまま年をとること。

 ああ、小説の事はもう考えたくない。仕事捨てるどころかこの夢を捨ててしまいたい。思いっきり蹴飛ばして、それはできるだけ遠くに遠くに捨てて、そのまま走って逃げて帰りたい。

 それから何もなかったふりをして、みんなと同じことを思って、自慢して生活するんだ。でも、そこに、きっと私の魂も置き去りにされるんだろうな・・・。

 そう思うと、頭痛は益々激しくなります。

 

 ドクドク脈打つ頭を抱えた私の細い腕をつかんで離さないものがありました。それはあの人の腕時計。

 8年間、どんな時も、ただ静かに秒を刻み続ける腕時計でした。


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