30数年前からの自分の物語を写し書いています。今現在の事ではありません。    (199110月 31)

  テレビをつけると終末医療の特集で「淀川キリスト教病院」が放映されていました。そこは私の敬愛する牧師が働いている病院です。その病院の事はお手紙で知ってはいましたが、初めて映像で目にしたそれは、想像以上に大きくて立派な病院でした。

 テレビでは終末医療のパイオニア的存在であるその病院の社会的重要性、まだ日本では聞きなれないホスピスの在り方、そこで患者と向き合うスタッフ達の姿を映し出していました。

 彼女もこの病院でチャプレンとして大きな役割を担い、患者に寄り添い、御言葉を伝えています。

 彼女はもちろん信仰深い方ですが、人間的にも謙虚で素晴らしい人です。障害を持たれたお姉さまを通して牧師になる事を決心され、神学校に進み、牧師になり、今その病院ではなくてはならない人になっています。

 神がご計画された彼女への試練は、今やどんどん…そう、それは、どんどん、どんどん大きな果実へと成長していく。彼女は、教会学校の本棚に必ず置かれている、奉仕のお手本を描いた絵本に出てくるような人です。神様がそんな彼女をどれほど愛でておられるかが、私にもよくわかります。彼女の歩いている道は、少しもぶれる事が無く真直ぐに神様の御心へと続いている。

 神様は益々目を細め、そんな彼女を用いる為に、その病院に勤務されるお医者さんとの結婚をご計画され、二人の子供を授け、その子達も神の道を学んでいます。

 それは、私が彼を失ってからずっと憧れていたクリスチャンホームです。そう言えば私も以前、亡き牧師に言われて牧師になる夢を描いたことがありました。似非信仰の私には、それはとんでもない思い上がりで、神様は激しく首を横に振られました。

 

 そんな神様の軌跡を見る様な彼女の活躍を信仰の証しだと素晴らしく思うのですが、テレビを消したその後、何気なく目を伏せると自身の足元が目に入ります。

 粗末な靴を履いている…。

 もう、さ迷い歩き続けて私の靴はボロボロなのです。

 

 今の私はと言えば…

 文章を書く意欲さえなくなっていく。

 以前はペンを手にするだけで、そのペン先から流れ出る様に文章が出てきていたのに。

 書く事が何もない…。

 感性が鈍くなったのか、何に対しても驚かない。喜ばない。哀しまない。感じない…。

 書く事が何もない事は、欲しい物が何もない事とどこか似ている気もします。

 無欲…。

 だからと言って虚しくない訳でもない。私の中の情熱は、私の中の小さな泉は、もう枯れ果てたのか。いや、今は脱皮時期なのかもしれない。今の沈黙を脱せた時、見違えるように無駄のない文章が、心をえぐり取るような文章が、火山のマグマが一気に山をかけ下る様に書けるようになるのかもしれない。

 

・・・・・・・・。

 

 そんな事とても信じられない。

 人の本ばかり読み過ぎて、頭の中はゴチャゴチャになっていくだけ。

 もう、今は寛之さんの思い出も私の心の中からなくなっていく。無意識の世界へと押し込まれていく。

 

 ペトロカスイ岐部神父がローマを目指して一人孤独に大陸を歩き続けていた時、いやそれ以前に9年間待望を抱きながら、果てるとも知れぬ、ただ働きをしていた時、こんな不安はいつも胸の中にあったのだろうか。

 自分がどこを歩いているのか、何に向かっているのかもわからない。いつの時か知らない内に道しるべを間違えて、この深い樹海に迷い込んでしまった。

 太陽の光さえ飲み込むこの樹海は、いつも薄暗くて、じめじめとしている。歩けば歩くほど、私の魂をも、この木々達は養分にして抜き取っていく。

 早く抜け出さなければと、こちらの方向を見定めて歩き始めるとすぐ、いや、あっちの方が正しい気がすると方向を変える。どっちに行っても行き止まり。疲れ切ってその場に座り込み、視線を横にやると昨日見たはずの朽ちた枝が目に入る。

「ああ・・・、同じ所を歩いていたんだ…。」と、絶望する。

 

 寛之さんを思って泣いていた秋の日も、この重すぎる夢になってしまった私の願いも捨て去ることが出来ない。

 神の国からも、はるか遠い世界へと流されていく。

 

「そして、私達の主、また救い主イエスキリストの恵みと知恵とにおいて益々豊かになりなさい。」(ペテロ第二の手紙3章18節)

 

 キリストの恵みと知恵とにおいて益々豊かに、今は、ここで、この大地に根を下ろしている時なのだと、信じたい…。

 この樹海の中にいて…。

 

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