栄光に満ちた勇気ある彼を棄教させたその刑はこの時代、最も残酷だったと言われています。

それを考案したのは、奉行の井上筑後守。

その刑は、一メートル四方の穴の中に逆さに吊るすものです。

 

「簡単に死なないようにするため、吊るす際は体をぐるぐる巻きにして内臓が下に下がらないようにする。すると血が頭にたまるので、こめかみに小さな穴を開け血を抜く。さらに穴の中には汚物を入れ、地上では騒がしい音をたて、精神を苛んだ。」

と「日本切支丹殉教史」に書かれています。

 

筑後の守は、雲仙での拷問の失敗から、彼等の死を英雄的なものにしてはいけないと学びました。

棄教して許しを請うどころか、一言のうめき声さえ発せず死んで行く彼等には、火あぶりも、斬首も、それを伝え聞いた者には一層の崇拝をさせてしまう。

それより決して人の目には触れさせず、世の中で一番毛嫌いされる糞尿の中に吊るす事を考え出したのです。

「それでも私は神を裏切らない」という己の揺るぎない勇気を見届ける者は、そこらじゅうを自由にはい回る太った蛆虫以外は、誰もいない。

逆立ちを一分しても血が頭に集まり圧迫感を感じます。それを何時間も何十時間も続けられればどうなるのでしょうか。

頭一杯に集まった全身の血液が、今にも頭蓋骨を粉々にぶち破いて赤い血潮が一気に炸裂しそうな激しい頭痛のなか、思考など保てるはずもなく、ただ目前の苦しみと一分、一秒、対峙していくしかない。

刀で傷つけられたこめかみから、鼻から、目から、耳から、頭にたまった全体重の血が、だらだらと流れて落ちていく。

その時、フェレイラ神父は、何百回、何千回、何万回、神の名を呼んだ事だろうと思います。いやきっと呼ぶ余裕なんかなかった。その苦痛はきっと神でさえわからない。

そんな地獄以上の地獄が、この今、私が建っている場所で繰り広げられたと言うのです。

 

穴から再び出されたフェレイラは、もはや5時間前のフェレイラではなかった。かつての勇気ある宣教師フェレイラではなく、みじめな裏切者のフェレイラだった。

拷問に屈して信仰を捨てることを当時の奉行所やキリスタンは「転ぶ」と言った。フェレイラが転んだというニュースは日本の潜伏切支丹にも、海外にも衝撃を与え、彼の所属するイエズス会はその真意を確かめると、正式に会から追放した。

以後の彼がどのような生活をしたか(中略)この転びバテレンは奉行所から沢野中庵なる日本名をつけられた。沢野某と言う死刑囚の名をそのまま押し付けられたのである。いや名前だけではない、死刑囚の妻子と無理やり生活する事さえも強いられる。(「走馬燈」遠藤周作)

 

今、もしも往来の車の喧騒激しいこの場所にあの時代のフェレイラが立ったら、何を思うのだろうと思います。何を語るのだろうと思います。

「そんな苦しみが一人の人間の上に起こってもいい物だろうかと思います。あなたがその後自殺もせず、天寿を全うされたのは、やはり最期までキリストを信じていたからなのだと…」

 もし、私がそんな陳腐な会話をしたとしたら、彼は、哀しく首を振ったに違いありません。

人間フェレイラは、今でもあの時の自分を、それからその後の自分も、決して許していない気がするのです。