おはようございます❤️
世田谷在住冨田明美です。
2021年3月10日水曜日になりました。
昨日ね、
声を出さずに「やったぜ❣️」「やったやった〜!!!」っていう感情を味わうことを
ここ数日していますよ〜。そうするとちょっと自分責めの感覚から解放されつつありますっていうような話をしました。
その続きになるか分かりませんけれども、今日も声のブログとっていきたいと思います。
そうあのね、昨日はね1日仕事が休みだったので、何かその逆にね、休みだったりすると『無言で味わう』みたいな時間を取らなかったんですよね。
けれど基本は変わらなくて、自分がどう過ごしたら気が楽かなっていう視点で自分の行動を決めていくって感じ。
その時の選択(肢)っていくらでもあるからさ、なんとなくいいのかなって思いつつ選ぶ時もあるだろうし、もっとすっきり選んでる時もあるだろうし、よくないなと思いつつ選んでるって言う場合もあるかもしれないですよね。
でもまぁ、きっとどの選択をしたとしても結果的にやっぱりそれがその時の最善だったんだっていう捉え方でいいんじゃないかなと思います。
だってそれしかないもんね。
要するにとにかく本当に責めないっていうことですよね。
あの〜今日、ある方から頂いたハガキでね。
まあニックネームでジュディって名乗っているので
「ジュディなら大丈夫、できる。」
みたいなことが書いていただいてる葉書っていうのが出てきたんですよね。
「ジュディならできる。あなたならできる。」
ってすごく温かい言葉なんだけど、それを目にした時に違和感を感じている自分がいて。
違和感を感じていることも許していいし、もちろん、違和感を感じてる自分もゆるしてもいいし違和感を感じてる自分を嫌いになってもいいし、嫌いなまま愛してもいいっていうような、なんかそういうことが浮かんできて。
嫌いなまま愛するとできるかなと思ったけど、嫌いなまま愛するってできますよね。
【愛】っていうのは多分、相手のこと好きでも嫌いでも、感じたり送ったりできるものかなって。
そんなこと思ってました。
ありがとうございました。
冨田明美でした🌈