親父の所に行ってきた | ガラッパチ復活ニキ「トミー」伊丹市の鍼灸接骨院、地獄を見た漢の華麗なる復活ブログ

親父の所に行ってきた

【悲報】

2022年8月17日発覚したので追記


韓国に女のためにマンションを買ってた模様


別に女作ったり、愛人囲ったり、そんな事はどうでも良い。渋沢栄一もたくさん女を作っていた事は有名だ。

ただ、そんな器でも無いのにそんな事して、家族に何も残せて無い事と、それでいて韓国に差別的だったのが呆れる🤦‍♂️




僕は親父が嫌いだった。


成人するまではそうでもなかったが、自分で物事を考えるようになってから、そして色んな出来事があって心底嫌いになった。


家では殆ど喋らないけど、小さい頃は威厳だと思っていたけど、それは違った。

単に家族に(特に僕に)興味が無いないだけだった。

高校の時、ラグビーである強豪校に勝った時(僕もトライして)に意気揚々と家に帰った時、親父に「今日、◯◯高校に勝ったで!」と言ったが「うるさい!早よ風呂入れ!」と一蹴された事は忘れられない(笑)


親父は土建屋で自営業、腕は抜群だった(関西でも有数だったらしい)が仕事の取り方が昭和型だった。仕事を取るために元請、ゼネコンを接待し、金銭面がだらしなかった。家族愛というのも皆無な人だった。家に入れるべきお金を接待や自尊心に注ぎ込んだ。良い時は良かったが(クラウンv8やセルシオにも乗っていたし、台湾や韓国に◯◯旅行にも行ってたし、無茶な遊びに手を出したり、自宅も1番高騰してる時に買った)。人に騙されたり、景気が悪くなってからは(その前からやけど)母やばぁちゃんの金に手をつけたり、銀行などは勿論、アカン所からもお金を借りたり、やっとこさの状態だった。


僕はその煽りを受けて10年間付き合い心底好きで結婚の話もでていた彼女と親父の借金が原因で別れた。(彼女の家はお嬢様)


その後、独立開業も結婚する時も親父からお金をビタ一文も出してもらっていない。保証人にすらなれない状況。

なのに結婚の時の挨拶で「何のおもてなしもできませんが...」と、さもこの宴は自分が出したかのような挨拶をし親族に格好つけてたのには唖然とした。「いやいやいやいや、あなた何も出してないし(両家の顔合わせも結納も全部僕が出したしお祝いも何も貰っていない)何なら今日もタダ酒タダ飯食ってるだけやし!ここは息子が全部やりました!褒めたってください!と言うのが普通やろ」と思ってた。


またこれが決定打になったんだが、ヤ◯ザ紛いの借金200万円を開業したての僕にぶつけようとした。家に帰った時に勝手に実印が出来上がっていたのはビックリした。

その借金の取り立てが家に押しかけ、一人暮らしをしていた僕のマンションに母親が逃げてきた時期もあった。そんなこんなだから両親は離婚した。その離婚の話し合いや調整をしたのも僕だった。どんなんやねん。


子供の幸せを応援するのが親の普通の感情でしょう。たぶん。


それが散々親父には引っ張り回された。


コレが根本にあるので僕は自分が子供を作る事を躊躇う要因の一つでもある。この血には親父の血が流れている。


繰り返すが【家族愛】が皆無な人だった。


高知県の左端のど田舎で11人兄弟の男の1番下で、殆ど両親に構ってもらえず、姉達に育てられ、中学を卒業と同時に大阪に出てきたので、親の愛とかいう感覚が無い人だった。子供にどう接していいのかわからない(特に男の僕、妹は女だからかそれなりに対応してた)感じだった。さっき言った台湾の◯◯旅行に僕を連れ行く感覚の持ち主だ。(勿論僕は断ったが)


そんな家族に散々迷惑をかけた父親が一昨年亡くなった。既に実家は売り飛ばし小さなアパートで1人で亡くなっていた。入院もせず最後だけは誰の迷惑もかけずひっそり亡くなっていた。親父には悪いが何の悲しみという感情は湧き上がらなかった。


ただ病院でなかったため、どうしたらいいのかわからなかった(警察も何も教えてくれない)から、速水さんしか頼る人がいなくて電話したらすぐ動いてくれて

全面助けてもらった。

(仕事をしてる時の速水さんはいつもの百倍頼りになり、格好よかった。これは親父も一度だけ仕事してる姿を見たがカッコよく見えた。皆さん子供に仕事してる姿は見せた方がいいですよ


派手ではなかったが、ちゃんと子供として最低限の事はして送る事はしたと思う。(妹の方が10倍動いていたが)




この時、散々接待を受けてたはずの人達は参列は勿論、弔電、連絡すらなかった。


金の切れ目が縁の切れ目。


唯一、丸亀の業者だけお供えとお電話をいただいたが、その人が「長男さんがいるとは知らなかったです。妹さんの話は聞いてましたが、まさか息子さんがいたなんて...」と言って、いかに僕が親父から愛されてなかった(愛し方を知らなかった)か改めて感じた(笑)


この時点でもまだ、僕は親父をやっぱり許してなかった気がする。

死んでもまだ根本が取れてない感じ。


それが年々嫌いな親父に顔が似てくる。

頬骨がでた冨岡家系の顔に。




今回自分に色々あって、考える事、感じる事があって初めて自発的に親父のお骨を納めている所に行こうと考え行ってきた。





僕の中で何かが変わったのか、気まぐれなのか。


でも散々家族に迷惑かけた親父だったけど、本人はたくさん遊んで満足したんじゃないかな


とは思えるようにはなった。