いつも読んでいただいて感謝します。

多度大社の上げ馬神事について。
三重県民の私は
この神事のことは子どもの頃から知っています。

馬たちが駆け上る崖。
子どもだった私は
怖くて目をつぶっていました。

伝統であり
勇壮な祭りである…
毎年そんなふうにニュースで流れていました。


私は大人になるにつれて
この祭りが
如何に馬にとって危険であるか
こんな伝統は必要では無いと
思うようになりました。

南北朝時代からの「伝統の神事」であり
三重県の「無形文化財」に指定されています。


今年  18頭の参加馬の内
一頭の馬が骨折して
「安楽死」
の選択がされました。
祭りには獣医が待機しています。

馬たちの全てではありませんが
競馬の引退馬が使われています。

引退馬のセカンドライフが
崖上りの果ての
「 安楽死 」では
あまりにも惨いではないですか。

馬主さんは
こんな結末を予想しても
祭りに出したいのでしょうか。

馬を必要以上に興奮させるために
鞭を入れたり蹴り上げたり…
平成16年には「 事故防止委員会」が立ち上がっています。
虐待についての指導もありますが
今年も馬への虐待行為はあり
指導がされています。


もしも
もっと急な崖を上がらせたい!
その方が観光客は集まる。
観光客が喜ぶ。

そんな考えが
多度大社や運営側にあるとしたら

もはや
それは伝統でもなく
神事でもないでしょう。 


むかし
人は神を信じながらも
神を畏れ
荒ぶる神を鎮めたい…

その気持ちから
人身御供(ひとみごくう)を
捧げ、それは徐々に
人から動物を生贄にするようになり

現代は
さすがにそれは無くなっても

まるで
亡霊のように
伝統・神事 となって
残ってしまいました。

そして
その  伝統・神事 
観光に利用され
お金儲けに利用され。


多度大社は伊勢神宮との関わりも深く
「 お伊勢参らばお多度もかけよ
    お多度かけねば片参り 」
そう言われるほどの神社なのです。

その多度大社が
いつまでこんなことを続けるのでしょう。

危険なことを動物にさせるなら
希望する人たちが
自ら 崖を駆け上がれば
良いのではありませんか。

馬たちを使う必要はないのです。


私自身は見たことはありません。
見たいと思ったこともありません。

中国の犬食祭りのように
その日が過ぎていくを
息を詰めて
ただ待っているだけでした。


今回
署名をされた方。
直接電話で抗議をしていただいた方。

その行動が
実を結ぶことを願います。
来年  同じことを
繰り返さないように。

「 一頭は殺処分されたけど
     残りの17頭は無事に飼い主に戻された  」

だから何?
殺処分が一頭だから
批判されるほどでないと思っているなら

一頭でも
死んでいい命はなく
死ぬ必要のない命だったと
私は思います。



tamajirouさんに
作っていただいた座布団カバー二枚と
長座布団です。

保護活動をされている方たちへの
支援のために
チャリティー品を作られています。



𓂃 𓈒𓏸◌‬唐招提寺の「うちわまき」𓂃 𓈒𓏸◌‬

            鎌倉時代  覚盛上人が、蚊を叩き落とそうと
            した弟子に
            「我々と同じ魂を持った生き物だ」
            と諌めた事が始まりです。
            うちわで追い払うようにと言う事です。
             神社仏閣とはこういった
             命は同じ魂を持つ…ということを
             教えてくださるのが本来の役目でしょう。