好きな人が弱っていて、その女の子に「毎日、一緒にいたい」って言ってもらえたら、10代の男だったらそうしてあげたいって、本気で思ったりする。

それで僕は当時通っていた高校を辞めて、彼女が通う仙台一高の通信制に編入する事にした。(まあ今考えると中二病ですね)


彼女にそう言われて考えてみると、通信制に移れば好きなだけ楽器が練習できると思えたし、バイトしてお金を稼げば、仙台から東京までレッスンを受けに行けるとも思った。

それを理由にして、一高通信に編入する事について、親と先生を説得した。

まだ秋になる少し前で、春が待ち遠しかった。早く彼女と同じ高校に通いたかった。可能な限りそばにいてあげたいと思っていた。

彼女の横で、一緒に定禅寺通りや気仙沼の海沿いを散歩しているだけで本当に幸せだった。

彼女の横顔、見上げた顔、気仙沼で会う時も仙台で会う時も、彼女から不思議と海の香りがした。

彼女はとても綺麗で、色々恋愛を経験してきたみたいだけど、僕にとっては初めての事ばかりでなんだか恥ずかしかった。



エホバの証人は婚前交渉を禁止しているし、組織外の人間との恋愛も避けるように言われている。


もし初めての恋愛が別の女性であったなら、僕は自分が堕ちていく感覚を覚えたかもしれないけれど、『いま、問題を抱えている、この大切な人を守りたい』という動機が、僕の尊厳を奪わないようにしたのだと思う。

あの組織から離れる際に重要な事は如何に尊厳を保つか。その事を何となく感じ取っていたのかもしれない。感じ取っていたけれども、その困難さには気付いていなかった。


そして僕は同じ悩みを持つその子を通して、自分自身の問題の解決方法を探していたのだと思う。


彼女が僕を必要としてくれた時、倒れてしまいそうな時、僕はなにか助言をしたりしていた気がする。時には聖書を引用して。こう考えてみたら?みたいに。

今になってすごく酷いことをしていたと感じる。

自分も弱いくせに。


世の中に強い人っているのかな?

この世界のことを理解している人っているのかな?


そんな人、本当はいないんじゃないかなと思う。

強いと思ってる人は心が鈍い人。相手の気持ちが分からなくなってる人。

理解してると思ってる人は誤解してる人。

なんだかよく分からない世界に、みんな閉じ込められてる。

僕たちがこの世界をどう見るか。この世界をどう切り取るか。

こう思うことにしたってだけで、それが正解だとは思わなくてもいいのにな。

信仰は冷笑主義とセットになりやすい。

何を信じようとカッコ付きの真実をみんな歩んでるのに。

みんな仲間なのにな。