あれから9年 | 凛々♪♪♪のブログ

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主に宝塚。ボランティアは2018年4月を持って、終了しました。学校関連も少しづつですがあげたいと思います。



私は、9年前…中学一年生でした。

あの日は、一生忘れることの出来ない日になりました。

私は、担任の先生とクラスの男子と〝イジメ〟のことについて話し合う予定でした。

なので、教室には、担任の先生とクラスの男子(2人ほどいなかった)と私がいました。

最初に先生から「なんで、残ってもらってるかわかるか?」と男子に問いかけがありました。

何人かの男子はうなずき何人かの男子は「なんとなく…」という感じでした。

そこから先生が「思ってることいいな。」と私に言ってくれて私が言葉を言おうとした瞬間、先生の顔が険しくなり「机に潜って‼︎」と大声を出しました。

私は何が起こったかわかりませんでした。

地震と気付くのに時間はかからなかったはずなのに、何故か無性に嫌な予感がし、これは普通の地震じゃないと思いました。

校庭に避難するとなった時、普段の避難訓練ならありえない、靴を履きかえるという行動をしていた私…かなり冷静さを失っていたのを今でも覚えています。

そのあと、先生たちもパニクっていたのか、家が近所の人たちと帰るように指示が出されました。

本来なら、親の迎えを待つところなのでしょうが…。

家に帰るとテレビがついていて、そこには〝震度7〟の文字が…。

地震大国である日本にいたため、震度4くらいでも気に留めることはあまりなかったのですが、3もあがるとこんな状況になるのかと絶句しました。

家にいても余震が続き、初めて地震に対して怖いという感情を持ちました。

結局、〝イジメ〟の話し合いが行われることは中学3年間通してありませんでした。
その3年間はずっと〝イジメ〟に耐え、3月11日が来るたびにあの日、話し合いが出来てれば、わたしの人生変わったんじゃないかと思います。

でも、震災で被災された方達は地震という自然災害によって、人生が変わってしまったと思うといたたまれない思いでいます。

 
私の〝イジメ〟の話し合いは被災者の方に比べたら微塵にもならないものだと…



9年が経ち、高校、大学ととても毎日楽しい幸せな日々を送ることができたことを振り返ると、
あの日の話し合いがなかったから3年間イジメに苦しめられたけど、そのあとの7年間(高校と大学)はとても楽しい幸せな日々を過ごすことができたから、終わり良ければ全てよしではないですが…前向きに考えたいなと少し大人になれたのかな?と思っています。


9年という月日が経ち、風化されつつある東日本大震災を忘れることなく、次の世代、また次の世代と伝えていき同じ様に津波などで亡くなる人がいなくなるそんな世の中になっていって欲しいと心から願っています。

4月から社会人として新たな一歩を踏み出す前に…踏み出す時だからこそ振り返りたいと思いました。


亡くなられた沢山の方々のご冥福を心からお祈りいたします。