今日も読んでみたいを思うけれど、今村暁さんの『3分間日記』

日記を書く効果について述べられているが、よくある成功体験の中の一連の作業ではなく、その日その日の自分自身の心の質がどのようなものかを振り返り、自分を客観視するための道具であると述べられていた。

私自身が購入した無印良品の小さい手帳サイズのノートを日記としていて、毎日全然継続してなかったが、読み返すと、何ともまあ甘い考えというか、自分のこれまでの考えの甘さや杜撰なところがよく分かった。

考えをこねくり回すのではなく、自分の気持ちに真正面に対峙して、それから自分自身がどのような気持ちで、どのように計画して、行動していくのかを日記に書いたもう一人の自分の心の質を問い正しながら、進めていくしかないし、それしか成功の方法はないと思う。


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最後にこのブログを書いたのは2011年の東日本大震災の時の話だったから、かれこれ3年以上前のことになる。

その間に私は41歳になり、2回も転職をすることになった。

なんか他力的な書き方だが、要は全て自分の責任の結果である。

その当時いた欧州の外資系の大きな会社に馴染めず(そのことはまた機会を見て振り返りたい)、わずか2年足らずで強引に

辞めてしまい、逃げるように入った次の日系企業もトップダウンがきつくて、オーナー社長が厭だったので、あまり協調的な

姿勢を取らなかったので、半分首の形で会社を辞めていった。半分というかほとんど首の退職勧奨です。正式な言い方をすれば。

それで妻子がいて、もちろん持ち家のマンションのローンがあり、副業をして貯金もなかなかない状態で、無職になり、

昨年の11月に辞めて、今の会社に入る4月までの約半年間は、今を思えば本当に精神的にきつくて、やっぱ厄年は

精神的にこたえるとか訳のわからないことの責任にして、家にいる間中はなかなか稼げない副業の物販をして、本当に自分を見失っていたように思う。

その時より精神的にはマシになったのが、たまたま2社目の関連会社の募集があり、何とか滑り込んでいれてもらった今の会社。家から自転車で10分。

上司(社長)は横浜なんで、遠く離れており、自由に営業活動できる環境。給料も待遇も小さい外資系にしてはなかなかりっぱ感じ。

なのに入社してかれこれ3か月なのに全然仕事に身が入らず、上司がいないのを良いことに、副業をこちょこちょ自分のPCでやったり。

先週、今週と仕事らしい仕事をしていない。本当に情けない自分。嫁や子供や親にも顔向けできないと分かっていながら、自分の本筋を見失い

責任のある立派な大人になっていない。今年で42歳にもなるのに。

なんで今になってブログを書こうとしたのだろうか。

平日は6時頃まで会社にいて、仕事をしているふりをしながら、副業して、家に帰って嫁さんとの

そこそこの会話しかせず、仮眠をとり、また夜中3時ごろまで副業して、何故か副業している自分

にイライラしているので深夜に深酒をしてしまう毎日のパターン。

話をする機会がないのだろう。PCの前で黙々としていればそうなるのもうなずける。

会社でもなぜか私以外の社員さんは女性ばかりで、仕事が違うので接点がなく、よって話をする

機会はほとんどなく、黙々黙々。

どうせ黙々するのであれば、何か自分の気持ちを吐き出すことをしたいと思うようになり、この

ように書き始めたのであろう。

こういう風に書き始めるとなぜか気持ちが楽になってきている自分がいるし、今日はこれで終わ

るのではなく、もう一つくらいは書いてみようと思うようになった。

明日は久しぶりに卓球の練習があるので、軽く会社帰りに運動でもして帰ろうかな。

ふとしたことでyoutobeで9月17日福島でのサンボマスターのLIVE映像を見て泣いてしまった。


彼は福島出身である。彼らの魂の叫びは映像を通しても僕の胸に刻み込んだ。


ボーカルの方の福島弁なまりのMCの熱く熱く言葉が僕の琴線が打たれました。


関西、京都出身の僕が、ここで映像を見て泣いてしまったけど、福島で困っている人になにをしてあげたのか?


何ができるのか?ただPCの前で泣いていていいのか?って思ってしまい、何か恥ずかしいです。


僕らが住む関西から福島はやっぱり遠いし、情報も入ってこないけど、今この時もあの時から大変な目にあって


いる人が、この日本に何万人もいるんです。日々の生活をしている忘れてしまうけど、もう一度もう一度同じ


日本人として何かできることをしようと思いました。