初めて見たときから、ずっと気になっていました。
そろそろ話しても良いだろうか。
このパスを首から下げて街を歩いたら、
それは社会的に、ある意思表示だと捉えられるだろう。
私にはそういう指向はないが、それを全く否定はしない。だけど肯定もしない。
そんな指向は本人の個人的な問題で、他人には全く関係がないからだ。
だが、これを首から下げて街を歩けば、それは「私はそういった指向のある人です」という主張か、もしくは「そういった人たちを応援しています」という主張、と捉えられるだろう。
STU48の運営がそれを承知の上でこのデザインにしたのならば、それは岡田奈々さんの主張、ということになる。
知らずにこのデザインにしたのならば、それはあまりにも無関心すぎる。
欅坂のナチス風衣装で秋元康が謝罪をしたことを忘れないでほしい。
社会的、思想的、な「シンボル」というものに無関心ではいけないと思う。
「そうじゃない」という言い訳は通用しない。
社会からはそう捉えられる。
今、シャツに白く大きな「Z」を書いていたら。
本人が「知らなかった」「そうじゃない」と言ったとしても、社会はそういう意味だと捉えるだろう。
そういうことなのです。
やっぱり、こういうことは気をつけてほしいな、と思うのです。
