続けたいとは思っています | ~ 48Gの地平線 ~ Project No.1024

~ 48Gの地平線 ~ Project No.1024

基本的にクソヲタの無駄話です。同じタイトルでYouTubeで48グループについて話をしています。


「応援する」って本当に難しい。

正直、自分の考え方が正しいのかは分からないんですが、でもなんかすごく「いや、それはさすがに・・・」と感じる場面があって。

最近はメンバー側が
「○○推し、ということを明らかにした上で、それ以外のメンバーを悪く言うのは、推してるメンバー自身の評価を下げてる」「他の人は、○○を推してる人はこういう人たちなんだ、って思ってしまうから」
と発信する場面があるんですけれど、その考え方はなかなか浸透しない。

浸透しない、というか、そういう自戒を持って言動する、ということそのものが難しいのです。
私自身、それはゼロにはできていないです。

でも、あまりにも・・・ と感じてしまう場面が多すぎて。

ここを見る人の年齢層であれば、
「○○だからできないです、ではなく、○○であればできます、と言え」
という台詞は聞いたことがあると思います。
それは一種の言霊みたいなもので、そう考えることを繰り返すことで否定型から可能性型の思考になっていく、ということだと思うんですね。

それと同じで、誰かメンバーを「応援」するのであれば、「Bはここができてないからダメだ、Aはいい。」じゃなくて「Aはこれができてるからいい」という文法で表現すればいい。
わざわざ、Bはダメ、という部分は言う必要はなくて。 というより、言わない方がいい。
Bがダメだと言われれば、B推しは必ず不愉快になりますし、そうでない人だってポジティブな印象は持ちにくい。

髪の色がとか、恋愛云々がとか、も同じ。
ダメだと思うなら言わないで徹底無視で良いはず。
それを言うのは単に、言って自分が気分を晴らしたいだけ。

・・・っていうのを見れば、そう思ってる人は、なんだよ、って感じますよね、きっと。
何かを否定するってそういうものじゃないかと思います。
それをゼロにするって本当に難しいですけれど。


これって今までも何度も書いてきたことなので、ここを定期的に見ている人は「また言ってるよ」と思ったとおもうんですが、
YouTubeの方にそういうコメントが付くんです。
このブログにはなかなかそういうコメントは付かないのですが、YouTubeは間口が広いので、色んな人が見て、色んなことを言います。

でもそれは「多様性」じゃなくて。
法は自由を保証するけれども犯罪は認めない、のと同じで。それは「自由」を履き違えてる。
犯罪を行ったり他人を不愉快にする自由はない。

とか、AKB界隈での迷惑系ユーチューバーの川合が言うことじゃないかもしれないですけど。(涙)


結局何が言いたいかというと、
YouTubeのコメント欄はやっぱ閉じようかなぁ、って。

それだと、私は一方的に言いたいこと言ってるのに他の人の言いたいことは封鎖するのかよ、ってことで。
だったらアンタも同じプラットフォームで自分の言いたいこと発信すればいいじゃん、というのは言う側のエゴだし。

きっとその人は推しメンを持ち上げてるのでしょうけど、推しメンを持ち上げるのと他のメンバーを落とすのはまるで違うよ、って・・・。

私についてバカだ分かってねえって書いてもらうのは仕方ないですが、メンバーについて悪く言われるのは嫌で、自分のやってることがそれを生んでるってことで。

誰かについて悪く言ってもいいんです。
それが、ああこの人は真剣にこの子のことを考えて言ってるんだな、っていうことが見えるものならば。
その子を落とすことが目的じゃなくて、その子を上げることが目的ならば。見てそう感じられるならば。



とかいう「自分の中のこと」をこういうところに書いてもいいのか? という疑問もありつつ。

そういう部分を全く出さず、ただひたすらに応援のことだけを書き続けてる人もいて、そういうブログを見て、本当にすごいなぁと感じます。

自分は淘汰される側の人間なのかもしれない、という恐怖感は常にあります。


とか言うな、って話なんですけれども。