まだ、なんだかよく分からないままだ。
だけど涙が出る。
悲しいとか、寂しいとか、悔しいとか、
そういった言葉に置きかえられるような感情は見当たらない。
ただ、40インチモニターの全画面表示になっているDMMのHD定点の画像を、
どうしてだか分からない涙を拭いながら見ている。
2016年1月17日。
初めて彼女を劇場で見た。
彼女を初めて見たあの日から今日まで、私にとっての「NGT48」はずっと彼女そのものだった。
それが、この画面の向こうで起こっている、まるで他人事のような公演と共に去ろうとしている。
その画面では、山田が泣いて歌えない姿が映ったり、中井が泣き崩れている姿が映ったりしている。
何故なら、これは彼女の卒業公演。
それは知っている。
今日を最後としてNGT48を卒業する、ということは聞いていたから。
私はその表情が分かるか分からないか、というギリギリの映像で彼女を見ている。
彼女は、私が初めて見たその時から変わらない、背の低い女の子のままだ。
そこに映るのは、加藤美南で間違いないと思う。
私は彼女を愛していたのかどうかはよく分からない。
だけど、これだけは間違いない。
私は彼女を信じていた。
そして、今も私は彼女を信じている。
だからなのかもしれない。
寂しくはない。 悲しくもない。
でも何故か涙はこぼれる。
今はまだ、彼女にかける言葉は見つからない。
その答えを出すのは私ではなく、彼女の方だ。
それまでは、私は彼女を信じ続けます。
何故なら、NGT48は明日以降も続くからです。
加藤美南が、NGT48だから、です。
加藤美南は居なくならない。
NGT48がそこにあり続ける限り。
私が、彼女を信じ続ける限り。