今回のお話は、一見、AKBと無関係に見えますが
実は本質的な部分で深く関係している(と私は思っている)、ちょっと変な話です。
私は意外と他者の影響を受けやすい人です。
熱しやすく冷めやすい、という熱伝導率の高い人間でもあるので、影響を受けてもすぐに忘れてるかもしれないですが・・・。
ですが、割と長い間、「う~ん、」と心の中に留まり続けているものが、今あります。
豊永阿紀が知らせてきた言葉です。
メールだったかSNSだったかは忘れてしまいました。
それは、
「それを面白いと感じるかそうでないかは、見る側に託されている。」
という内容のもので、
まあ、よくある言葉かもしれません。
文は原文そのままではありません。そういう意味の言葉、でした。
あるカメラマンの言葉だそうです。
例えば、です。
福岡の街、でしょうか。
もしかすると博多かもしれません。
一見、別に何もないですよね。
多くの人がそうなのではないでしょうか。
私もこれを見て何か感情が湧いてくる、というものはないです。
でもですね、
私は今、「何もない」と書きましたが、
何もないことはないんです。
バスも、車も、道路も、ビルも人も空も。
そこには、ある。
傾いた日が、一部のビルだけを照らしてる。
ガラスに写った女性は、赤ちゃんを背負うお母さんのようにみえる。
何もない、なんてことはありません。
そこには、色々なものが溢れています。
ない んじゃない、 見ていない。
あるのにそれを見ていないのは、見る側なのです。
そうでなく、それを見ることができる人には、
この写真を見て「ああ、」と心動くものが見えるのかもしれません。
それは幸せなことですよね。
つまらないのは、お前がつまらない人間だからだよ。お前が面白い人間なら、他の人がつまらないとするものだって面白く見えてくるよ。
そう言われている気がしてしまうのです。
だから、彼女の言葉は、
今も私の中を漂って、
「目を開け、耳を澄ませ、」と語り続けます。
さて、ここからが本題。
(長すぎる前置きですみません)
私はこのアメブロでブログをフォローしている方は意外と少ないのですが、(本当にすみません)
フォローしてずっと見ているブログに、
waveさんのブログ、というブログがあります。
このブログを見ているような人は、そちらも見ている人も多いでしょうから説明は割愛します。
最初に言ってしまうと、
彼の指向と私の指向には、基本的に相容れない部分があります。
なので私から「それは違うと思う」というコメントを付ける時もあります。
ですが、ずっとフォローは外さずに彼の意見を見続けています。
それは何故かというと、
彼は私の見ていない、私に見えないものを見続けているからです。
彼の最新の記事は、谷口めぐに関するものです。
今現在、彼は谷口が一推しのようで、以前から彼女に関する記事を何度も上げています。
彼は、私には見えない、
谷口めぐというメンバーを見ているのです。
私にも、谷口めぐそのものは見えなくはないです。
見えます。
でも、私は彼女を見ていない。
だから私には、見えない。
ですが、彼は私には見えない彼女を見ていて、
彼女をセンターに相応しい、と力説します。
それが叶わないなら、自分はAKBを見限る、
とまで言い切ります。
彼には見えている。
私には見えない。
彼は、私には見ることができない
「谷口めぐ」というメンバーを見ている。
いちばん大切なのは、
それを伝えることだと思います。
自分の目に見えるものを、
自分が素晴らしいと感じるものを、
見えるがままに、感じるがままに、伝える。
誰かが認めてくれるから、じゃなく、
自分にはそう見えるから、そう言う。
はっきり見えているのなら、はっきりと伝える。
彼はこうだ、と言うかもしれない。
私はこうだ、と思うかもしれない。
何故か。
それは2人に見えているものが違うからです。
同じものを見て、どう感じるかは、
見る側に託されています。
同じものを見ても、右から見るのと左から見るのでは、形も色も異なるでしょう。
彼は、自分に見える彼女をそのままに、
それを素晴らしいと力説する。
それが大切なんだと思います。
見えてない人に、伝える。
分からない人に、伝える。
そうすれば、あるときに今まで見えていなかった人にそれが見えるようになるかもしれない。
少なくとも、普段は私は谷口めぐを見ていない。
だけど、彼が彼女を伝えるその時、
彼が谷口のことを伝える時、
私は谷口めぐを見ようとする。 考える。
私にはまだ分からないし、まだ見えません。
だけど、彼がそれを伝えてくる限り、
私はその瞬間には彼女を想う。
それが大切なんだと思います。
きっと、それしかないんだと思います。
彼にも、私にも、それしかない。
それはダメなんじゃない。
それは間違っているのでもない。
それは私に、あなたに、見えていないだけ。
もしかすると、
いつか、私にも見える時がくるのかもしれません。
だって、他の人には見えるものなのですから。
見てみたい、と思います。
