どうでもいいんですけど、
ちょっと期待して読んでたから残念感でいっぱいな気分ですよ。
小林よしのり様。
話しの入り口はそれっぽい感じで入って行ったので、「おっ?」と思って読んでいました。
ですが、途中で「恋愛禁止条例は、恋愛をできない人に対する差別だ」とか意味不明なことを言い始めて支離滅裂な感じになってきて、
最後は「スルーの姿勢によって恋愛禁止条例という不文律が完成した」とか完全にあっち側の主張で終わってしまった。
で、
結局は、信者ヲタへの攻撃と、自己弁護というか自己擁護に終始しただけだった。
つまんないよ、小林さん。
彼の文は、ふざけた短文だとすごく面白い場合がある。
なのに、長文になると途端に駄文になる。
彼の「AKB48論」もそうだが、結局「ワシは」という自己顕示に終わってしまうから、読んでる側の心に残らない。
なんでそうなってしまうかの理由は分かる。
カンタンな話だ。
知っていることを、思っていることを、全てありのままに話さないからだ。
色々な制約や、規制や、配慮によって、ストレートな文章でなくなっているからだ。
それは、彼の置かれた状況や、立場的なものからは仕方のない当然のことだろう。
言えないことが多すぎて、そしてそれを隠し通すことができずに、ピンボールのように色々な障害にぶつかって発言があっちこっちに揺れるからそうなる。
突き抜けたものを提示できないから、読む人の心を震わすことができない。
これはビジネス言論人の避けられない限界点だが、その限界点をあまりに簡単に見せてしまうので、つまんない、という印象になってしまう。
カンタンな話なのですよ。
小林よしのりは、
渡辺美優紀の件で、文春の取材を受けて批判的に語ってしまったことを後悔している。
文春の記事によって、みるきーはかなりの苦境に陥ってしまった。
それを目の当たりにした彼は、後悔している。
自分がみるきーを苦しい立場に追い詰めた、と後悔している。
カンタンな話なのですよ。
みるきー、ゴメン。
と書けばいいのです。
一時の感情の昂ぶりで、文春の取材を受けてしまったけれど、それでもやっぱり自分はみるきーが好きだ。
と言えばいい。
文春の取材を受けたことは間違いだった。ゴメンナサイ。
と言えばいい。
それを認めることは、言論人としては致命的なことだろう。
だが、自分が間違ったことをしたと思うなら、
相手の許しを得たいと思うなら、
自分のプライドや自己中心的な尊厳などは捨てなければならないのです。
それができないのならば、
自分で自分の過ちを後悔し続けるしかない。
カンタンな話なのですよ。
好きなら好きと言えばいい。
悪いことをしたと思うなら、ごめんなさい、と言えばいい。
そんな簡単な、とても難しい話。