先日、股関節が長年痛くて人工股関節を勧められている方を施術した時の事なんだけど。



施術中に
“自分の生きる力を低くみすぎ”
“思い出して”
“寄っかからなくても大丈夫”




って言葉がなんだか浮かんでにやり




外側に居着くクセが強い股関節周りの状態にもリンクしてるなーって感じもあり




終わった後にその言葉をお伝えしたら 
「心当たりありますー」ってウシシ




この方、何度も施術受けてくれてる方なんですが、今回の術後はいつも以上に歩行がスムーズで、全然違う感じになったようです照れ




自分の内側に居ながら周りを頼る 
のと
自分の内側を忘れた状態で外側に寄っかかる
のは
全然違うよね




忘れてもまた思い出して*\(^o^)/*






で、この施術の数日前、
数年前からの知り合いに会って近況報告した時に
「わー!よかったねぇ♡」
から色んな話をする中で

「なんかずっとねぇ、周りにあるものを拾えばいいだけなのに、それを頑なに拾おうとしないイメージだったよー笑」
「自分の光を自覚してないし認めたくない感じで勿体ないなーって思ってたさー」
「光に包まれてるからさ、忘れないで」


って言ってくれてびっくり
昔から光や色が当たり前に見えるんだって
 




その後また違うタイミングで、
人生で初めて“生きたいわ・生きよう”って思ったりして照れ
それまでは死んでないから生きてるってだけの状態だったなぁ と振り返ってみて思う
誰しも当たり前にいつか死ぬからさ、その時なるべく周りに迷惑がかからないように、、って事を優先事項に色々選んでたんよね。





あの【自分の生きる力を思い出して】は、私への言葉でもあったなぁって改めて感じてお願い




私なんか、、、が根強くて周りに頼れんくて 長年無駄に力んで踏ん張って肩肘張ってさw
↑まさにこれを現してるカラダで



自分も周りもみくびっていた笑い泣き




そんな最近のアレコレをじんわり感じてたら
今よりももっと楽に軽くいけそうな気がする今日この頃ウインク
周りにあるものを拾っていこかな照れ





多分だけど、
生きる力を思い出す事って 
自分の存在を許せるって事と
同じなのかもしんないな、と感じるチュー




良いと思ってたところもダメだと思ってたところも
同時にあっていいんだな、
と感じられる度にカラダの奥が動くのよ爆笑




今生きているカラダを感じてこチュー