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釣りバカ日誌20ファイナルを見た。


ホラーだと思ったのは私だけだろうか。


ラスト前辺り、三國連太郎演じるスーさんが倒れ、三途の川を彷徨うシーンがある。


いつもの釣りバカのテンションで三途の川を笑いに変えているのだが、観客の多くは(失礼は招致で)三途の川に足を突っ込んでいる方々であり、何だかものすごくシュールだと感じた。


それだけではない。


ラストのエンドロールでは、カーテンコールが行われるのだ。

カーテンコールとは、演劇などで終演後、キャストが舞台上に再登場し、手をつなぎ、深々とおじぎをするあれだ。

演劇に於けるカーテンコールはまだ許せるのだが、演劇よりリアルを求められている映画でカーテンコールの様な事をされると、一気に現実との境界線を引かれた様で、冷める、という表現よりも、恐怖を感じるといったほうが合点する。

しかもそれが、あの三途の川のシーンから間もなくであり、さらに、先日亡くなった俳優の谷啓氏の老衰した姿が、人間の死と老いに対する象徴のようでさらに恐怖への拍車をかける。


死や老いに対する表現がストレートすぎるのだ。

制作者はコメディを制作していて、変化球を投げているつもりだろうが、関わっている人たちの多く(観客も含め)が高齢者で、変化量が少なすぎる。全然曲がっていない。


重いストレートだった。

「強いものが勝つのではない。勝ったものが強いのだ」

ドイツのベッケンバウアーという選手の言葉。


 先日のサッカーワールドカップ、日本対カメルーン、日本が1対0で勝利したが、決して日本が強かったわけではない。予想と相反してカメルーンが弱かったおかげである。私を含め俄かサッカーファンはカメルーンのエースストライカー、エトーの力量にばかり目がいき、それを恐れ、チーム全体の総合力を見ていなかった。カメルーンはプレスも弱いし、エトーもサイドに流れるばかりで、それに連動してゴールに迫れるようなフォワードがいなかったため、思っていたほど恐ろしい攻撃ではなかった。


 しかし、次のオランダはどうだろう。

我々俄かサッカーファンが恐れていたエトークラスの選手が半数を占める。今度こそ本当に強い相手なのだ。カメルーン程度の相手に勝ったからといって、私は岡田監督を支持することはない。マスコミは掌を反すように岡田監督を持ち上げだしたが。確かに1勝してひとつ結果をだした。しかし、まだただのひとつだ。世界中から嘲笑された目標のベスト4にはまだまだ結果を出さなければならない。

 ベスト4という目標は決して間違っていないと思う。一度はベスト16に入っているわけだから、その二つ上を目指すのは悪くない。しかし、中途半端な印象もある。鹿島アントラーズの小笠原満男はその目標を聞いたとき、何故優勝と言わないのか、と言ったらしい。最近になって本田圭祐も同じようなことを言っていたが、監督含め、選手全員、それくらい高い目標を持ってもらいたい。


 私は岡田監督を支持していない。未だに解任してほしいとさえ思っている。正直、あんな守備的なサッカーでは面白さがないし、日本対カメルーンの試合は日本人とカメルーン人のためだけの試合だった。他の国の人も多く見ていたと思うが、どれほどつまらないと思ったことだろう。日本は勝ったけどつまらない試合をする。そう思われているに違いない。それは日本サッカーにとってマイナスなことだろう。


 しかし、勝ったものが強い、のである。もしも、次のオランダ、デンマークに勝ち、どんなつまらない試合をしようとも勝ち続ければ、日本はつまらない試合をするけど強い、となる。まだそれなら日本サッカーに救いはあるだろう。


 今まで岡田監督を酷評してきたことを忸怩するような結果を期待する。

 私はカラオケが嫌いだ


 会社の送別会や歓迎会、はたまた新年会、忘年会等でカラオケに誘われるたび、私はこう断っている。否、これは文書言葉で、「俺はカラオケ嫌いだから」が本当だ。「私」だなんて自称を使っている男性はフィクションの中にしか存在しないのではないかと思っている。そう、だからこの雑文もフィクションと思ってもらって大いに結構である。


 話が逸れたが、何故カラオケが嫌いなのか。

それを好きな人は、歌うことによってストレス発散できる、という。しかし私にとっては歌うことがストレスになるのだから楽しめるわけがない。結して音痴なわけではないので、それを隠したいとかそういうことではない。

 私の歌などだれが聴きたいのだろう。職場の人間でこの人の歌を聴いてみたいと思う人など私にはいない。歌はプロのものを聴く。私にとって歌はそれなのだ。だから、周りの人にもそうあってほしい。というのはあまりにも利己的なので、せめて私にそれを求めないでほしい。私の歌を聴いているくらいならプロの歌を聴け。


 そんな風に思っているのは私だけではないはずである。この広い世の中、そういう人もいるよね程度ではなく、必ず身近にもいると思っている。しかし皆、それを言わないのは、昨今の希薄なコミュニケーションから派生した面妖な気の遣い合い「空気を読む」という下らない行為が当たり前とされ、それが出来ないと罵られるという何とも品のない人間関係があるからだ。

 

 しかし私も一社会人であり、空気を読まなければならない。

下手な歌を聴かされても、知らない歌を聴かされても、歌う前に「今日のどの調子が良くない」と言い訳されても、何をされても、私は心の中で嘲笑しながらも、相好は崩しっぱなしだ。

つまり、私は私と同じ考えをしている人間が必ず大勢いると思っている。ということは、もし私が歌を歌う事があった場合、同じように相好を崩しながらも、心の中で嘲笑されているかもしれないのだ。そう考えてしまうと歌うことにストレスを感じる、ということがわかってもらえるのではないだろうか。


 カラオケとは何とも恐ろしい場だ。