











近所の小児科の先生が亡くなったと聞いた。小児科医院にほど近いご飯屋さんの女将が、その突然の出来事をSNSで綴っているのを見て知った。
うちのふたりの子は幼い頃からその町医者と呼ぶに相応しい小児科にずっとお世話になってきた。先生は母親たちにはぶっきらぼうで厳しめ。ご機嫌が悪そうな時もあり、電話をかけるといつも先生が直接出るのでどきどきした。小さな診療室には疲れた様子など見せずいつも綺麗にしている奥様がいて、先生が彼女にあたっても変わらぬ優しさでいてくれるのが安らぎだった。さほど忙しそうではない時はにこにこと優しい言葉もかけてくれる先生だった。長男はよく熱を出してその度に駆け込んでいたが、こうやってよく熱を出す子は丈夫になるから大丈夫だよ と言って頂いた事を20年以上経った今も覚えている。
今でこそちょっと位の熱だったら家での手当てで何とかなると思えるけれど、あの頃の私は母親としていっぱいいっぱいで全く余裕など無く、誰かにすがりたかったのかもしれないなぁと気がついた。そのために息子は熱を出してくれたのかもしれない。大人の都合など構わず熱を出す子をちょっとイラつきながら先生の所へ連れて行き、お決まりの診察を受け、大丈夫だよという言葉とオレンジ味の薬を貰ってくる。それがどれほど救いになっていたかと思うと泣けてくる。当時の私はその事に気づかず感謝することもしていなかった。自分の大変さしか見ようとしていなかった。
人と人との関わりは不思議だ。嬉しいことも辛いことも腹の立つことも、そして何気ない出来事さえすべては必然で、何かの糸で何処かで繋がっている。日々の暮らしの一つひとつに感謝することの意味を教えて貰った気がする。そして誤解を恐れずに言えば、人は肉体を離れる時でさえ意図せずに何かしらのギフト–深いレベルの奉仕–を残していくのかもしれないと思う出来事だった。
先生、最期までありがとうございました。
合掌








って聞いたりして


