昭和生まれのチャレンジ日記 -22ページ目

昭和時代のコミュニケーションツール 駅の伝言板

1967年頃はスマホもポケベルもありません、大学生活では同級生とのコミュニケーションツールは「駅の伝言板」でした。クラブの仲間とは部室にメモを残せば通じますが同級生や遊び仲間との連絡はほとんどが駅の伝言板でした。大学は広いので仲間を探すのも一苦労、決まったたまり場以外にも活動範囲が広いので伝言板が大事なツール。駅の直ぐ側が大学なので登下校時には必ず駅の伝言板をチェックしていました。ほとんど雀荘や喫茶店へのお誘いでしたがいつも楽しみに読んだり、書いたりしていました。時間が決まっていて時間が経ったものはどんどん消されます。まさに学生向けのツールでした。

 

 

 

 

 

1967年の学食

大学に入ると学食で毎日お昼を食べます。1967年頃はうどん、そばは40円、カレーライスが60円、ランチが100円だったと思います。自販機のキリンレモンが20円の時代、たしかこの年にハイライトが発売され80円だったと思います。本当に夢のような時代でした。大学に入るとスキーも始めましたが戸狩の民宿では3食付で学生料金一泊680円だったかな?民宿のおばさんは女子と男子が仲良くなるように一生懸命お世話をしてました。信州大学の女子大生が泊まると一緒に滑るよう世話を焼き、夕食も一緒の部屋で取るようにしてくれました。料金が安いので長い時は20泊したこともあります。楽しい時代でした。

 

 

 

 

 

 

 

1967年 大学入学

4月に入学した大学、高校が男子校だったのでいきなり女子大生と一緒に学ぶことに軽いカルチャーショック。中学の共学とは比べようもないですが大人の女性と一緒の勉強はなかなか慣れないものでした。特に選択したフランス語の授業は高校でフランス語を選択していたので仏文科のクラスに振り分けられたので数人の男子がいるだけであとは全員女性。夢のような状態ですがシャイな自分は緊張してばかりでした。でも隣に席を並べた娘が気さくに話してくれたので楽しく授業を受けることが出来ました。彼女は某有名百貨店のお嬢さんで

 

 

 

 

 

ロングヘアーのエキゾチックな女性でした。夏でも月山にスキー合宿に行くようなスポーツウーマンで魅力的でしたね。閉口したのは教室中女性なのでフレグランスの香りでむせ返るようだったこと、女子部から進学してきたお嬢さまの挨拶「ごきげんよう」どうも慣れませんでした。

同級生も美化しすぎかな。