昭和生まれのチャレンジ日記 -21ページ目

1967年の思い出 お嬢様がいるということは

同級生にお嬢様がいるということは、お坊ちゃまも当然います。高等科からの内部進学生は総領事閣下、大使閣下の息子がいて海外生活をしてきているので授業のときも英語の発音にはびっくりさせられました。他にも明治政府の有名人の孫とか、幕府の子孫、お公家さんの家系とか様々でした。なんか歴史の勉強になりそうな同級生が多かったですね。富裕層の子弟は大学生になると自分の車で通学してくる人もいて大衆車のカローラからホンダS800とかマイカーを持っているので羨ましかったですね。中には親のベンツのカブリオレに乗ってくる猛者もいます。こちとら庶民はマイカーは夢でしたがこの夏免許だけは取って親のクラウンで運転の練習をしていました。芸能界に人脈のある同級生や先輩には山本リンダやジュディ・オングに会わせてやろうかと言う人もいました。

浮世離れした人はいるものですね。

 

 

 

 

 

 

1967年の思い出 お嬢様にはびっくり!

下町の一般学生にはお嬢様のガールフレンドは眩しすぎます。趣味を聞いたら3歳からやっているヴァイオリン、ヴァヴァヴァイオリン!お家はどこかと聞けば田園調布、一度夜送って行ったことがありましたが当時は住宅街は暗くて物騒な感じがしました。彼女は新体操愛好会だったので体育館のロッカーに行くときよく顔を合わせました。一般学生にも優しい素敵なお嬢さんでした。田園調布といえば同級生が別の女子の家に行った時、門から入ったら素敵な家があったので「いい家だね」と言ったら「あれは運転手の家」と言われ邸宅はずっと奥に豪邸があったのでびっくりしたと話していました。お嬢様はきれいで可愛い子が多かったのですが庶民には付き合いきれない娘ばかりでした。

 

 

 

 

 

 

女子高等科からの内部推薦生

大学1年も少し慣れてくると女子大生とも話をしたり喫茶店へ行ったりと女子アレルギーも解消してきました。でもやっぱり内部推薦生の「ごきげんよう」には違和感が、いいところのお嬢さんばかりで眩しかったな。大会社の子弟が多く某ストッキングメーカーの娘や某タイヤメーカーの娘などもいて気後れしてばかりでしたが毎日楽しかった。喫茶店は目白

駅の近くの「田中屋」によく行きました。ケーキが美味しくてお気に入りはモンブランとサバラン、毎日のように行っていました。