開業してから、がんの治療をすることはなくなった。癌を見つけたら、がん専門の病院に紹介してしまうからだ。紹介にあたり「がんの可能性が高い」ということはある。ここをあいまいにしておくと、患者が紹介先に行かない可能性もありうるからだ。しかし、『がんである」と断言することは避けるようにしている。
その昔、指導医にがんの宣告のしかたを教わった。
癌の告知が始まったばかりの頃であり、その指導医はがんの告知も場合によっては必要だと思っていた。その指導医が言うには、「先に家族と相談してはいけない。」ということである。家族と相談すれば、「本人には黙っていてください。」となるのが明らかだからだ。本人がどんなに癌の告知を希望していても、本当のことは隠されてしまう。
告知の有無を効く場合には、「家族と本人の両者を呼び、その場で告知してほしいかを同時に聞く。」と言っていた。このようにすれば、「本人には黙っていてほしい」と言うことはなくなり、口をつぐむからだ。
本人の真の希望を聞くことができる。
「告知してくれ」と言われれば癌のことを正直に話す。
「告知しないでくれ」と言われれば、がんであることは宣告せずに、具体的な治療の話になっていく。
「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ―若き医師が死の直前まで綴った愛の手記 (祥伝社黄金文庫)」
高校生の頃、読んだ記憶がある。末期の癌におかされた若い医師の手記であった。妻が妊娠しているが、生まれてくるころには自分は命を落としてしまう。まだ見ていない子供への手記という形だったはずだ。奥さんの名前が飛鳥さんだったんじゃないかな。
この頃は癌は告知がなされなかった。それが普通。でも、本人が医師であり、隠しきれないということから告知された珍しい話だったのだろう。癌の告知、助からないという告知は、日本では非常に珍しかった。だから、本が売れたし、映画化もされたのだ。