新しい概念はいつまでたっても受け入れない人がいる | 耳鼻科医として、ときどき小児科医として

耳鼻科医として、ときどき小児科医として

以前にアメブロで書いていましたが、一時移籍し、再度ここに復活しました。専門の耳鼻咽喉科医としての記事を中心に、ときにサブスペシャリティな小児科診療のこともときに書いていきます。

手話の世界に生きてきて、「手話は言語である」と受け入れない多くの人に苦しめられてきました。言語とは音声でやりとりするものだという前提概念からのがれられないのだと思います。手話研究者により、手話が言語であるという根拠をいくつもだされてきましたが、手話は言語ではないといい続ける人は、今後100年以上も存在し続けることでしょう。手話を使ってコミュニケーションをとっている人たちは、その人らに苦しめ続けられます。

 

ゲイ同士の結婚は認めない。この主張もあります。結婚とは子供を育てていく一形態だから、ゲイ同士は結婚ではないし、結婚することを認めないというのでしょう。そうなると、子供をもてない夫婦は結婚していないことになるのでしょうか。子供を養子に迎えて一緒に育てているゲイパートナーはどうなんでしょうか。

 

ゲイ同士の結婚というシステムを認めてもいいと思います。逆に認められないことにより苦しむ人がでてきます。

 

僕自身、ゲイではないので、ゲイ同士の結婚を認めようが、認めまいが、自分の生活は何も変わりません。ただ、そのような制度のはざまで苦しむ人が存在することが気の毒に思います。自分とは関係のない人に、自分の意見を押し付けさせるのがどうかと思うのです。

 

夫婦別姓も同様の考え方です。別姓を希望している人がいることは事実です。同姓がいいという人もいるのも事実です。別姓にしろ、同姓にしろではなく、自分が好きなほうを選べるような自由度がほしいですね。自分が好きなほうを選べるのですから、それは誰からも反対されないと思います。

 

女性が働く社会になりました。女性は専業主婦であるべきだとか、女性は働くべきだとか、個々の人の思いはあるかもしれませんが、それは個々で判断してもらえばいいのです。主婦であるにせよ、働くにせよ、どちらも応援できる社会システムは必要だとは思います。

 

一人一人の考え方は違うと思いますが、自分の考えをもって、相手の考えを否定すべきではないでしょう。こうでなければならないなんて、鉄則はないのです。どっちでもいいんですけど、ルールにしばられて苦しむ人がいるのなら、なんとかしてあげたいと思います。