別の意味でおかしいんじゃない? | 耳鼻科医として、ときどき小児科医として

耳鼻科医として、ときどき小児科医として

以前にアメブロで書いていましたが、一時移籍し、再度ここに復活しました。専門の耳鼻咽喉科医としての記事を中心に、ときにサブスペシャリティな小児科診療のこともときに書いていきます。

 

 

異常のある受精卵を移植したからと、この不妊治療クリニックを訴えたそうだ。異常がある受精卵をのぞいて、正常の受精卵のみを移植できるのかどうかがわからない。どうやって調べるのだろうか。

 

僕が疑問に思うのは、間違えたかどうかではない。そのような形で命の選別が行われていることである。異常のある受精卵は、排除し、正常な受精卵を移植しましょう。そこには人為的なものがある。都合の悪い人間は殺してしまおうというものに近いものがある。優生思想につながるものである。

 

以前、障害をもつ人が子供を作れないように、断種手術が盛んにおこなわれた。数十年の時をへて、今国家損害賠償訴訟が起こっている。障害者を根絶やしするために、障害を持つ子供の子孫を作らせないためである。昔はそのような対策が必要と思われていた。

 

今の時代でも、不良な受精卵は選別しようとして、それがあたかも当然のように思われている。

 

人間の根っこの部分は昔も今も変わっていない。今の医学でそうできる技術にも不信感を覚えるし、正常の受精卵を移植してくれと頼む人にも不信感を覚える。