群盲象を評す | 耳鼻科医として、ときどき小児科医として

耳鼻科医として、ときどき小児科医として

以前にアメブロで書いていましたが、一時移籍し、再度ここに復活しました。専門の耳鼻咽喉科医としての記事を中心に、ときにサブスペシャリティな小児科診療のこともときに書いていきます。

インドに伝わる言い伝えに、「群盲象を評す」という言葉があります。目の見えない人たちが、象の一部をさわってその象を評価する。さわった部位により、その評価は様々だと言うわけです。

 

コロナに関してはまさしくこんな感じです。コロナのどの面を診ているかによってまったく違ってきます。

 

コロナの重症患者ばかりを診ている医者は、もう重症者はいなくなったのだから、コロナなど恐れる必要はないと言うことでしょう。

 

コロナの重症化。これはデルタまでの課題でした。オミクロンがはじまってからは、その心配はほとんどなくなりました。

 

みんな軽症なんだから、ほおっておいていいんだよという医者も多いことでしょう。

 

ただ、軽症でも、コロナ後遺症の人はたくさんでてきています。その人たちを、重症患者しかみない医者は目にすることはありません。いや、実際の患者は受診してくるのかもしれませんが、「自分は関係ない」とばかりに、他においやることでしょう。

 

自分がどういうスタンスで、患者をみているかによって、コロナの評価はまったく違うのです。

 

コロナは風邪のようなものだ。そのように言い続けてきた医者もけっこういました。そのような医者はそもそもコロナの患者をほとんど診てもいないのです。コロナに対しての医者の発言を見る場合には、その医者がどういう立場でコロナにかかわっているかはおさえておいたほうがいいです。

 

僕はお酒を飲まないので、ワインの味は語りません。お酒を飲まない人間が、あそこのワインはうまいとかまずいとか評価はするべきではないでしょう。ところがコロナに関しては、コロナを診たこともない医者が、評価をし続けてしまうまずい現状があります。