中学校の3年間は、本当に受験勉強しかしていなかった。東京の場合には、英語、数学、国語3教科の受験が多かったため、理科と社会は根を入れて勉強しなかった。
中高一貫校に高校から入った。高校から入ってきた生徒は、英語と数学はよくできると言われていた。
中学から持ち上がってきた生徒が、非常に知識が幅広く、政治情勢など世の中のことをよく知っているのに驚かされた。教養の中身が違う。自分は学校教育で学ぶべきことしか頭に入っていない。これが中学から入学し、自由に勉強してきた生徒と、受験勉強一筋で高校に入ってきた生徒の根本的な違いである。
はっきり言って、一般教養がまったくなかったのである。
大学に入り、さまざまなことを学んだ。今まで受験勉強しかしてこなかったことが恥ずかしく、その遅れを取り戻すかのように、様々な本を読んで教養を身に着けた。とは言っても、1~2年でその教養が身につくわけではない。数十年にもわたり、徐々に蓄えられてきた。
今であれば、全く興味のない分野は別にして、多くのジャンルで自分の教養を表にだすことができる。人並みの教養が身に付いたということであろう。
西欧ではこの一般教養の有無が人物評価の対象になるそうだが、日本では比較的軽んじられている。なければ困るというものでもないが、いろいろな教養があると、幅広くものごとを見ることができよう。