たしか小学校6年生の時だった。大手町で催し物があり、近所の同級生5~6人で日曜日にそこに行こうという話になった。自宅の近くは最寄り駅から離れていることもあり、自分自身あまり電車に乗るという経験はなかった。しかし、他の同級生は電車に乗り慣れていたのかもしれない。僕自身みんなについていけば大丈夫という気持ちでいた。
ところが、事前にその計画が自分の親にバレてしまった。「子どもだけで都心部まで電車でいけるはずがない」と大反対されたのだ。常に大人がついていかなければこころもとないと考えたようだ。昔のことだから、目的の駅までの切符を買わなければならない。無理だと判断されたのであろう。
反対されたのはとてもショックではあった。ただ、そのような冒険は成長する上で必要である。今までしたことがないものにチャレンジすること、そして子ども同士のケンカにしても、「何かあったら困る」と言われてしまうと、成長そのものを阻害してしまう。少しずつではあっても、ケンカし、仲直りし、遠方にでかけ、子どもたちだけで何かをなしとげる。そのような経験を積ませることがとても大切であろう。
もちろん、最初は失敗もするだろう。ただ、その失敗から学ぶことが多い。成長するためには失敗するべきなのであろう。
今は少子化の時代であるから、とてつもなく過保護になっている。「失敗したら困る。トラウマになったら困る。」子どもが失敗する前に、失敗の元を大人の手によって取り除かれているような気がしてならない。
運動会の徒競走。負けたらかわいそうと、みんな同時にゴールをさせる。どう考えてもおかしいだろうと思う。学校でいくら負けないようにしても、社会にでればどん底に蹴落とされる。それが当たり前だ。むしろ、子どものころから負けることに耐えて慣れることが社会にでたときの免疫になると思う。若いころ、学生のころこそ、自分で解決できる能力を身につけさせるべきであろう。大人になってからの失敗は耐えられなくなる。だから、子どものうちに失敗させておくのだ。
僕自身、小学校のころには劣等感だらけであった。他の子より優れているなどとほとんど思ったことがない。
中学、高校で自分が代わり、大学で遠方にいった。一人でアパート暮らしをし、親元から離れた。本当の意味で親離れをしたのは、大学のときからであったろう。親の元にいたら成長できないと思っていたからだ。大学に入ってからの20年間で、親の顔をみたのは3~4回しかない。ほとんど実家には近寄らなかった。もちろん、こちらから電話をかけることはないし、向こうからもそのうちにかかってこなくなる。
親離れ、子離れ。双方に必要なことである。もし、自分がしっかりした人間に見られるとするならば、それは人に頼らずに生きていくと、決めて実行してきたからである。