差別用語の乖離 | 耳鼻科医として、ときどき小児科医として

耳鼻科医として、ときどき小児科医として

以前にアメブロで書いていましたが、一時移籍し、再度ここに復活しました。専門の耳鼻咽喉科医としての記事を中心に、ときにサブスペシャリティな小児科診療のこともときに書いていきます。

差別用語というのはみなさんも知っているでしょう。差別用語だと言葉狩りにあり、使えなくなる言葉も多くなりました。

 

自分の詳しい聴覚障害について書きます。

まず、「つんぼ」という言葉。典型的な差別用語とされています。テレビなどでは、「つんぼさじき」という言葉も使えません。もし、この言葉をうっかりもらしてしまえば、すぐに謝罪コメントがでるぐらいです。では、つんぼの代わりにどのような言葉を使えばいいのでしょうか。一般的に思われているのは、「耳の不自由な人」「耳の聞こえない人」「聴覚障害者」というところが無難だと思われています。

 

ところが、、、ここから本題です。

とうの耳の聞こえない人たちに意見を聞くと、

「耳の不自由な人」---聞こえないが、不自由はしていない。失礼な言い方をするな。

「耳の聞こえない人」---聞こえないという欠点を中心に言われるのは、差別的でけしからん。

「聴覚障害者」---障害って、害がある人のような言い方をするな。なにも悪いことはしていない。

こんなニュアンスなので、当の本人たちにとっては、そう呼ばれることに不満たらたらなのです。

では、なんというか、多くは、「ろう者」あるいは「聾者」という言葉を好みます。

手話を使わない人たちは、逆にこの言葉に嫌悪感をもち、「難聴者」と呼ばれる方を好みます。

 

聾(ろう)という言葉は、訓読み(古来の日本語の読み方)でいえば、「つんぼ」と読むのです。このため、ろう者は自分らを「つんぼ」と言うこともあります。つんぼという言葉そのものに、差別感はもっていないので、これが実際の人たちと、周囲の人たちの大きな乖離です。

 

そもそも差別意識があるかどうかは、発言する人が差別意識をもっているかどうかです。たとえば、「痴呆」という言葉も差別的なニュアンスを含んできたので、最近になり「認知症」に変えました。認知症に変えたところで、それが差別的に使われるようになれば、また差別用語にまつりあげられるのでしょう。用語に差別があるのではなく、使う人たちに差別があるのです。それなのに、用語だけを変えていこうとするし、その用語をあげつらって批判をする。これではいたちごっこなのです。