矯正歯科をするきっかけや検討中の想いについて時系列で書き残そうと思う。
一番古い記憶
「歯列矯正」を初めて知ったのは小学生の時、クラスの男の子がある日突然、歯に金属をつけて登校してきた。非常に衝撃的だった。
田舎の小学校なので矯正をしている子はほぼいない。同学年でも彼ぐらいだったと思う。
彼は勉強ができ、運動も確かそこそこにでき、社交性もありとよくできた子だったのだが、歯に金属が。
初恋とかそんなものではなく、見知った顔(正確には歯)がなんだかすごいことになっている。
これは私に強烈なインパクトを与えるとともに、私はこんな歯になりたくないと嫌悪感を抱かせた。
理想の顔と現実の顔
すべて永久歯に生え変わり何年か経った頃、鏡で自分の顔を見るのが嫌になってきた。写真を見るのはもっと嫌だった。
父に「かわいいかわいい」と大層可愛がられた私は自分がかわいいと信じていた。
しかし鏡に写る自分は、自分の思うかわいいとは違っていた。
歯が大きくて目立っているような気がするし、形もヘンだ、横顔は理想とは程遠い形だった。
鏡や写真を見なければ気になることはないので、見ないようにしていた。(ここから鏡・写真嫌いが始まる)
お口ポカンを意識した出来事
小学六年生まで習っていたバレエでは、先生に「口があいてる!」「口を閉じろ!」と口を酸っぱくして言われた。泣きたくなるくらい何度も何度も指摘された。
自分で上手く踊れたと思ったときにも鋭い声が飛んでくる。
指摘されないように食いしばってみるが、集中すればするほど開いてしまう。思春期の身体の変化もあり中学生になる前にやめた。
歯列矯正の検討1
中学生のとき、虫歯ができたことで歯科医院に通院した。このときに母が歯科医に歯列矯正について相談していた。
抜歯が前提になること、と言われていたことは記憶している。
帰宅し「矯正してみない?」と問われ私は即座に嫌だと答えた。絶対に嫌だと頑なに拒否した。
母としては口ボゴになる娘を可哀想に思い提案してくれたのだと思う。しかしながら私は、過去にみたあの同級生と同じ状態になることだけは避けたかった。
今となれば一時的(と言っても数年だが)なものとはいえ、当時の私としては永遠に続くような気持ちだった。
歯列矯正の検討2
次の検討機会は、時が経ち社会人になってからである。
検診で通っていた歯科医院で、たまたま担当してくれた衛生士さんからの指摘がきっかけである。
指摘内容としては、開咬で、前歯でものを食べてないため前歯が生えてきた当時のままになっている、というもの。
歯列矯正をすれば、口元下るし、口も閉じやすくなる、エラ張りも取れるかもしれない、と言われた。
コンプレックスを刺激され、恥しさなどのモヤモヤは残るものの指摘は最もなのでWEBで自分なりに調査した。
期間、費用、通院ペース、装置の種類、期間中の制約について簡単に調査し、早々に断念した。
理由は、通院だ。
指摘を受けた歯科医院は当時の住まいからとても近く(徒歩1分)、通院するならここがいいと考えていた。
しかしこの歯科医院は一般治療が専門で矯正は外部医師を招いているため矯正は月曜のみ。
月曜は打合せなどの会議が多く休みにくい、よって断念した。
今振り返ると、矯正歯科専門医院の存在を見落としているので、しなくてもいい理由を無意識に探していたのかもしれない。
歯列矯正の検討3
今回である。前回から約10年経ち、以前とは別の歯科医院に初診で訪れた。理由は虫歯である。
レントゲンを撮り「軽度開咬の指摘とともに、前歯でかめていない影響で奥歯が擦り減り気味」との指摘を受けた。
開咬は前に通院していた歯科医院でも指摘を受けていたので知っていたが、奥歯が擦り減りは初耳である。
理由は理解できるが、納得できない。まだまだ生きて美味しいもの食べたいで大事な奥歯さんが擦り減ってるのは困る。
虫歯は詰め物の下にできていた(二次カリエス)。
この詰め物をしている左側は奥歯を含め咬み合わせが悪い。10年前と比較すると悪化していると自覚していた。
さらに生理前後は詰め物している歯が鈍痛がする。
……なんだか歯の悩みが色々ある気がするぞ、と気付き真面目に歯列矯正を検討するべきではないか、と思った。
抜歯するか否か
歯列矯正をするにあたりどういう点を調べたのかについては下記記事をご参照頂きたい。
ここでは、矯正を踏み出す際、1番のハードルとなった「抜歯」について述べたい。
抜歯、みなさんどうやって抜歯する決意、しない決意をしたのだろうか。是非とも知りたい。
歯列に問題は生じているが、一つ一つの歯自体は健康そのものなのだ(虫歯もいるが)
健康な歯を抜く、という心理的抵抗は非常に大きかった。もったいない精神といえばそうなのだが、問題ないのに抜かねばならないという事実が衝撃的で重いのだ。
さらに、抜いたことによる将来への不安も考えていた。抜歯より、歯が減ったことによるトラブルを考えたのだ。
しかし具体的にどんなトラブルが発生する可能性があるのか私には分からなかった。
実際に抜歯した方に話を聞いてもトラブルはない、とのことだった。
では逆に抜かない、抜歯しない矯正治療をした場合はどうだろうか?
少なくとも抜歯に対する心理的抵抗は解消される。
WEBでは以下のような意見が散見された。
- 口元が膨らむ
- 後戻りが発生しやすい
- 歯茎が下がる
項番2は保定を正しく行えば回避できる
項番3は抜歯にかかわらず矯正治療を歯肉退縮のリスクがあるもの
と、考え、項番1だけが根拠や回避策が分からなかった。
仮に、項番1が発生するとして……
現状の容貌(横顔)に不満を抱いているにも関わらず、さらに顔を悪化させることをするのか?それも高額な費用と長い時間をかけてだ。
答えはNOだ。
さらに、容貌改善が見込めないということは、写真や鏡嫌いが継続するということである。
私は、写真は嫌いだが、思い出を残す手段としての写真はアリだと思っている。こんな顔でなければ、家族や友人との写真をことあるごとに撮りたいとすら考えている。
旅行先で友人に「写真撮ろうよ!」と誘われたとき、抵抗するが、本当は抵抗などしたくない。むしろ私から写真撮ろうぜ!と誘いたいくらいだが、この顔が残るのが嫌なのだ……。
家族に楽しかったよ、と土産話を語るときにこの顔が出てくる現実を避けたい。
現像されなくてもデータとして残り続けて、ある日データ消去前に振り返りながら流し見して出てくるのがこの顔、という現実をなんとしてでも回避したい。
兎にも角にも非常に自己中心的な理由でせっかくの誘いを断らなければならない。楽しい時間は最後まで楽しみたいのに口元に自信がないから思いっきり楽しめないのだ。
さらに、断ることにより一緒にいる相手(家族や友人)が、嫌なのに無理に付き合わせてごめん、ほんとは楽しくないのかな、などのような誤解したら心底困る。
私が地味なストレス抱えるのは百歩譲っていいとして、大切な相手に嫌な思いをさせるのは絶対に駄目だ。
それが、この先も続く。
自覚してすでに30年近く経過しているが、この先40年、50年も同じ気持ちを抱きながら生きていく。なかなか重い。
結婚、出産という人生イベントは終えているので自分が主役!という出来事といえば、葬式、つまり遺影の出番である。
死後に残るのがこの口元なのか……
子や孫が遺影や写真を見て思い出すときに登場するのがこの顔なのか……
はっきり言って、嫌だ。
悲しいことに自分よりも他人のほうが私の顔を見ている時間が長い。
たとえ、他人が私の顔を見て何も思っていないとしても、他人の記憶にこの顔が、この口元が残った、目に入ったという事実は変えられず、私はその事実をとても嫌に思っている。
そう理解した。
自身の想定よりもはるかに容貌コンプレックスが強い。
こうなってくると、歯列矯正は美容整形の要素を含んでくることになる。
一般的に便宜抜歯(矯正治療にあたって歯を抜くこと)は4番もしくは5番である。
それを上下左右で計4本抜く。
とある団体によると日本人が考える1本あたりの歯の価値は100万円、ということだ。(私的にはもっと高いが…)
それを4本抜く、400万円分の(歯の)損失だ。
別の見方をすると、400万円分の美容整形を実施する、ということだ。
400万円で、この先の人生において鬱屈した気持ちを少しでも抱かなくて済むなら安い。私はそう思った。
以上のような経緯で抜歯を決断した。
他にもたまたま聞いた音楽の歌詞に後押しされたとか、趣味を楽しむにも今の顔じゃないほうがいい、とかそんな理由もあるが、蛇足なので割愛する。
余談(費用と時間)
特筆することは無いが記しておく。
歯列矯正というと多大な費用と時間が必要になる。
まず時間、矯正治療に3年、保定に2年の合計5年だ。
メインは3年。
学生もそうだろうが、社会人の3年なんてあっという間である。ほんとに一瞬で溶けると私は考えている。
月1の通院も面倒だがなんとか通院可能な範囲の歯科医院を探した。
幸運なことに理解ある家族や友人としか付き合いがないので、食後の歯磨きにも寛容(なハズ)だ。
次は費用だ。
歯列矯正は自費だ。予算130万円で検査料、装置代、技術料、通院費など諸々を賄いたいと考えていた。
高額ではあるが、前述の通り400万円分の歯と引き換えに手にしたい横顔があるのだから、相応の技術料がかかるものであると考えた。
装置や時間短縮技術によっては、更に追加費用が発生するので、得られるメリデメを比較して考えるつもりだ。
以上が矯正を決意した経緯である。
拙い文章を最後まで読んで頂きありがとうございました!