ずいぶん間が空いてしまいました。

その間私の身に人生最大級の危機が訪れましたので、ここで改めましてご挨拶を。 


京都市内で相方、次女と三人暮らし。
春から点滴のみで命をつないでいる母、認知症にせん妄が混じる父、施設で荒ぶる義母、さらに一人娘を亡くした母の姉の身元引受人として「老い」に向き合いつつ楽しく暮らしていました。




2024年6月18日、乳がんの告知を受け、そのささやかな幸せが崩れ去ろうとしています。
いや、崩れないように踏ん張っています。
ルミナールA、比較的進行の遅いタイプにも関わらず鎖骨の下までヤツは襲ってきてました。
というわけで、手術に先立ち化学療法を行い、来年年明けに手術ということになりました。

7月2日に1回目のドセタキセル投与、今のところこれといった副作用はなく、今まで通りに過ごしています。
メンタルもまだ持ちこたえてます。

これまでの病歴

帝王切開

病気ではないけれど、二人の娘は帝王切開でした。
前麻酔の筋肉注射と、手の甲に刺す布団針くらいの太さの輸血の針、そして腰に打たれた腰椎麻酔。
あの痛さは自力出産できなかった自分へのバツだと当時思ったものでした。
絶対そんなことはないのに。

その後は至って健康。
健康診断でも取り立てて引っかかることはなかったけれど、ただ閉経が58歳と遅く、何なら今でも絶賛更年期です。
母が60歳まで現役だったというからこれは遺伝なのでしょう。
この遅い閉経と、更年期からの肥満が乳がんの要因ではないかと思ってます。

2016年2月 右足首骨折



お茶のお稽古で足がしびれた状態で立ち上がって、畳の目で滑って右足首骨折。
ここから「右の呪い」が始まりました。


2021年5月 帯状疱疹

右背中から右胸にかけてピリっとした激痛が走り、かかりつけ医に。
ちょうどその一ヶ月前、弟が背中の激痛で救急搬送され、結局大動脈解離で大手術となったばかり。
これはいけない!と焦って駆け込んだら「帯状疱疹ですね」。
人生二回目の帯状疱疹は、40代の頃のそれとは比べ物にならないくらいキツイものでした。
幸い投薬が早かったのですぐに奏効し事なきを得ましたが、後にこの背中から右胸に時折走る痛みを帯状疱疹の後遺症だと思っていました。
もしかしたら、乳がんの痛みだったのかも…

2022年12月23日 コロナ

この日はコベルコ神戸スティーラーズのホーム開幕戦。
選手入場時に大きな旗を持ってピッチで迎えるビッグフラッグベアラーに当選し、楽しみにしていました(ちなみに、軸足は埼玉パナソニックワイルドナイツに置いてます)。
また、その翌日にはヨドコウ桜スタジアムで開催されるラグビー大学選手権を弟と観戦することになっていました。
が、前日発熱→発熱外来。
そして当日朝コロナ感染という電話連絡。
この年はお正月準備をすることなく、布団の上でダラダラ過ごしてました。

2023年10月 インフルエンザ

喉の痛みを感じ、耳鼻咽喉科でうがい薬をもらったその夜、発熱。
かかりつけ医で「インフルエンザですね」
咳がなかなかおさまらないので、一ヶ月近く咳止めの薬を飲んでました。


2023年11月&12月 大腸ポリープ

8月に受けた健康診断で、便潜血に「要精密検査」。
というわけで、この年は胃カメラの年でもあり、11月受診、胃カメラ&大腸カメラ検査を受けました。

結果、思いの外大きなポリープがあり、大きな病院で手術したほうが良いということになり、暮れも押し迫った12月27日入院。
無事摘出しましたが、生検の結果が出るのは1ヶ月先とのことで、2年連続、ろくにお正月準備をしない暮れとなりました。

結果は良性♡
1年後にまた大腸カメラで検査して、何もなければ2年後、というような手はずとなりました。

2024年1月 黄斑上膜&白内障

並行して、視力が著しく衰えた右目の検査で大学病院へ。
初診の予約を取るのでさえ1ヶ月先、手術は数ヶ月待ちという人気店()
色々調べてもらい、3月に黄斑上膜、そしてこの手術をすると必ず白内障が進行するからと白内障の手術も受けました。
手術中に網膜裂孔が見つかり、急遽レーザー照射もありました。

今は経過観察中です。
矯正視力で左目1.5、右目1.0まで回復しています。
歪んで見えたり、右目で見ると左目で見るより大きく見えたりするのはおそらく治らないでしょうが、日常生活には問題ないレベルです。

2024年5月 乳がん

30年来の親友と葵祭斎王代行列を見に行ってました。
その時、親友のお嬢さんが乳がんだったというお話で、なんとなく気になってました。
いつもお風呂で鏡を見ながら確認してましたが、くぼみもしこりもないし安心!と思っていました。

5月29日の夜、おふとんの中でふと右胸を触ったら、真ん中、下の方に消しゴムくらいの硬さのはっきりとしたしこりが!!
即近所の乳腺外科を調べ、ネットで予約し、翌朝一番で乗り込みました。

結果、はっきりと写ってました。
ただ、ここでは組織診ができないということで、がん拠点病院を紹介され、今に至ります。

右足、右胸、右背中、右目となぜか右に偏る疾患。
こういう事をいうと、「先祖の霊が云々」言い出す人もいるだろうから、たまたまやろ、くらいに思ってます。

10ヶ月かかった歯根膜炎

これはまた別の機会に

これからのこと

大好きだった一つ年上の従姉妹が、がん告知から4ヶ月で旅立ちました。
余命宣告を受け、彼女は離れて暮らす伯母や親戚たちと会い、私にも電話してくれました。
「春になったら会いに行くね」
遠く山梨で暮らす従姉妹にはもう30年近く会ってなかった。
春になったら、そう思っていたのに、山梨にとんでもない大雪が降った日に、儚くなりました。

私はまだがん告知を受けたばかり、診療が始まったばかりのビギナー。
抗がん剤が効くのかどうかもわからないけれど、主治医の「根治できます」との言葉を信じて、この新しい課題にチャレンジします。

もしクリアできたらやりたいことがたくさんあります。
クリアできなくても、途中でつまずいても、このnoteは私から私を知る方々への言葉の形見分けのつもりで綴っていきます。

62年生きてきた中で、広げてしまった大風呂敷をきれいに丁寧に畳んで、願わくば母方の祖母のように「ご飯も食べたことだし、寝る!」と言って大往生を遂げたい。

単なる闘病記録ではなく、今まで見聞きしたことの中で強く感じたことや、思い出深い出来事、懐かしい故郷のこと、愛する家族のことなど、とりとめもなく、おもいつくままに。

多分、ラグビーのことになるとまた熱量が違ってくると思いますが、そこはご勘弁の程を。