いよいよ始まる抗がん剤投与。
ドセタキセルを3週間に1回投与、これを4クールです。

どういうことが起きるかわからないので初回は入院での投与にしました。


当日は相方が病院まで送ってくれました。 
1泊入院なので流石にスーツケースは大袈裟やな、と思っていたら、次女が推し活遠征用リュックを貸してくれました🎶

入院手続きのあと、薬サポートセンターへ。ここではアレルギーについて聞かれました。特に問題なし。

ここまで付き添った相方、いよいよ病棟にというところでバイバイ👋

なんか、喉の奥がツーンとした気がしたけれど気のせい気のせい。

病室でのあれこれ
一人で乗り込む病棟、入院手続きの看護師さんが、一人でバタバタされてました。特に入院患者が多い日だったようです。
血圧、体温、身長、体重を測り病室へ。

給湯器、給茶機、自動販売機がありました。あ、テレビカード販売機も。
この病院は洗濯機、冷蔵庫もこのテレビカードで決済するようです。

病室は4人部屋。満室でした。

窓ぎわのベッドで日当たり良すぎ問題発生につき、即日焼け止めを塗りました!

家族LINEしようと思ったら院内Wi-Fiが機能していなかったたので、次女が貸してくれたWi-Fiで連絡。
看護師さんがいらして
「今日入院できるかどうか調べる採血しますね!」

え?血液検査次第では強制送還もあり?

その後主治医が来られて
「血液検査で問題なしなら抗がん剤投与を始めますね、吐き気止めの薬、抗アレルギー剤も使います」とのこと。

ネットでよく目にする
『抗がん剤投与の時に手足を冷やす』 案件をお尋ねしたら、特にしなくて良いとのこと。
それより浮腫のほうがキツイらしい… 

続いて、薬剤師さんからドセタキセルのパンフレットを渡されました。

お薬手帳をチェックして、3月に受けた目の手術の件について
「目に影響が出ることはないけれど、まつげが抜けるとドライアイになるので、眼科医に保湿成分のある目薬を処方してもらえるか聞いてください」
とのことでした。

一通りレクチャーが終わったので荷解き。

入院時の持参品

ネットで検索すると
『入院時に持っていくと良いもの』
が出てきます。 
直近2回の入院でだいぶ勝手がわかってきました。

S字フック、テレビ用イヤホン(3m)、紙コップ、水筒、蓋のできるコップ、ティッシュ、充電用延長コード。これらはお約束!
シャワーが使えるかどうかわからなかったのですが、お泊りセットを用意しました。 
ゆーても一泊ですからね、なくてもなんとかなるやろ。







これはスリコで550円で購入したもの。3月に黄斑上膜手術で入院した時にとても役に立ちました。
もともと整理整頓が苦手なので、細かいものをこれに入れてました。
メッシュなので中に何が入っているかすぐわかるのがいいですね。
くるっと畳んでポーチ状になります。
フックが付いているので床頭台の取っ手にひっかけてました。


3月に入院した時に重宝したもの、あったらよかったとおもったものなど。





左上のデオドラントシート、ボディシートはシャワーを使えないときに備えて用意。結局シャワーは使えなかったので(そういう案内がなかった💦)
早速役に立ちました。

食事用カトラリーは全部使い捨てにしました。一泊3食付仕様。

耳栓、アイマスクは3月の入院の時に持っていったらよかったと心底思いました。

同室のマダムのいびきがすごかったのと、夜中にお手洗いに行く人の足音が響いて案外気になりました。

アイマスク、いらないかなと思いましたが、いつも部屋を暗くして寝る私には病室は明るすぎた!

3月に入院した病院は、ベッドの足元にフットライトがあって、夜中にお手洗いに行くときなど足元を照らすのですが、そのライトのセンサーが高性能すぎて寝返りを打つと輝く✨

たぶん毛布が落ちかかっていて、それで反応したのだとは思いますが。

で、こちらの病院はそういうライトはなかったのですが、消灯中にしては全体的に明るくてこれは必須でした。

学習した!





3月に入院した時に、テーブルを拭こうとしたら

「アルコール入りですか?」

「ノンアルコールです」

「なら大丈夫です」

ということがありました。

これも前回入院のときの残り物。


アルコール入りのもので拭くと傷むということは聞いたことがあります。


そして、今回のヒット商品はこのペットボトルキャップ。

この病院内のコンビニで購入しました。

寝たまま飲めるのは助かりました。 


そして、「ゴミ箱はないので用意してください」と言われて用意した

『どこでもペタッとゴミ袋』


これは普段ミシンテーブルに貼っています。糸くずや端切れをポイポイ捨てて、とても重宝しています。それを入院用に転用。枕元のベッドのフレームに貼ってました。


いびき防止テープ、万一大いびきをかくようなことがあったら大変!と前回眼科入院の時に用意しました。


これ、本当に良かったんです。パッケージは唇と平行(?)に貼ってますが、これを縦に貼るとさらに効果大です。何がいいと言って、知らない間に口を開けて寝ることがないので、朝起きた時に口の中が乾燥しない、喉が痛くないんです。いびき、関係なし!

3月、乾燥する時期だったので本当に役に立ちました。


そして、役立ちグッズ界の大御所はこれ!





じゃ~ん!サニーナです。


これは私だけかもしれませんが、自宅以外の場所のお手洗いのウォシュレット機能は使うのに抵抗があります。

でもキレイにしたい。ペーパーにシュッとスプレーして使います。


旧Twitterで、『下痢の時に肛門が痛くなるのは、下痢と一緒に出てくる強アルカリ性の腸液が肛門を溶かしているから』というツイートに触れ、あれは紙による物理的刺激によるものではなかったのか!(もちろん、固い紙だと刺激が強すぎるでしょうが)と目からウロコが落ちまくりでした。


なので、抗がん剤の副作用で下痢に悩まされている方、その腸液パーツも優しく拭き取れたら少しはマシなのでは?などと思ったり。 

もちろん、症状がある時は主治に相談、が鉄則です。



ベッド周りとお昼ごはん


荷解きが終わりベッドメイキングへ。

以前かよっていたジムで購入したマイクロファイバーのバスタオルをシーツの上にかけました。万一飲み物をこぼしても大丈夫なように。


かなり大判、かつ薄手なのでかさばらず重宝しています。


15年以上前のものですが、バリバリの現

役です。

残念ながら商品名を忘れてしまいました💦

枕には自宅でいつも枕カバーに使っているタオルを掛けて、ベッド周りは終了。

そして待望のランチ!


ご飯が多い!!でもお残しは許しまへんで、という天の声。完食しました!






ドセタキセル投与 


 14時30分。


いよいよ始まりました。

まず、生理食塩水と抗アレルギー剤、吐き気止めの点滴。


ドセタキセルは針がずれるとかなり腫れて大変なことになるらしいので、その点は厳重に説明されました。


15時。


ドセタキセル投与。

それまで普通の点滴注入光景だったのに、一気に緊張が走りました。


コロナ禍の頃よく見たマスクの上にフェイスガード、防護エプロンに二重の手袋。


それくらいキツイヤツが体内に入ってくるわけね、と覚悟しました。


が、特にアレルギー反応も吐き気もなく16時30分無事終了。


私は血管が出やすいらしく、採血も点滴も一発でOKでした。


これ、本当に重要案件。


以前治験で一緒だった方は、採血の際中々血管が出ないので、腕を温めるカイロみたいなのを当てられてました。   


抗がん剤治療だともっとグレードの高い手術を経て投与、ということもありますからね。


それから、一つ気になったたことがありました。

この4人部屋のお手洗いには蓋がないので、事前の説明で「蓋をして2回流す」ができない、蓋のあるお手洗いに行くのか質問したら、「2回流せば大丈夫ですよ」とのことでした。

でもなんか気になる!



投与終了後の自由時間


17時50分。ディナー。





生まれて初めてテレビカードを使ってテレビ視聴。


こうやって大人の階段をまた一つ登るBBA。


相変わらずご飯の量がおおいけれど、心配していた吐き気もなく、全部美味しくいただきました。ご馳走様でした🍚



点滴の量が多いのと、抗がん剤を早く体外に排出するために水をよく飲んでいたためか、お手洗いがかなり近くなりました。


同室の方はかなりハードな手術をされた方と、透析をされている方がお二人のよう。 


狭い病室で、シニアの方に対してかなり大声でお話されるので、わりと病状が筒抜け。


私の「乳がん」は病気ステータス(?)が高いためか、病室に他の方がいらっしゃる時は『がん』という言葉を使わない会話でした。


手術の時は個室がいいな、と思った出来事の一つ。



6時50分。


点滴終了。最後まで頑張ってくれた生理食塩水くん、ありがとう。


フリーになったので病棟内探検。 


前回入院した病院は、4人部屋でもエアコンが個別についていて、好みの温度設定ができたけれど、こちらはそれがなかったので暑い!


よく考えたらここまでずっと来た時の服のままだったので、パジャマに着替え。






埼玉パナソニックワイルドナイツ、堀江・内田選手引退記念Tシャツ、来季から着る機会がないので、パジャマにしてます。ものすごく守られてる感があります!


ちなみに、通院の度に着ているデニムスカート。裾の方を引っ掛けてしまって破けたところに次女がクローバーの刺繍をしてくれました🍀

私のお守りです。



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そんなこんなで22時消灯。


深夜1時30分くらいに目が覚めてからはまったく眠れなくなり、ネットを見たり、考え事したり。

投薬の中にステロイドが入っているので、それで興奮状態になり眠れなくなることがある、と後で知りました。

この時は、いろいろな不安、寂しさ、暑さ、そんなことで寝られないのだと思ってました。

そして寝不足のまま朝を迎えることになります。

つづく







抗がん剤治療が始まる直前の7月1日、乳房MRI検査を受けました。


6月18日の診察の際、主治医による事前の抗がん剤治療についての説明の中で、このMRI検査は治療前の現在のがんの大きさを把握するのに必要であると言われました。
その後の抗がん剤投与でどれくらい効果があるのか把握できる、と。

そして問診票・同意書に記入。
喘息があると検査を受けられないこともあるとか。

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6月24日。
外来化学療法センターの看護師さんによる化学療法の説明を聞いていて、自分の大きな間違いに気がつきました。

このMRI、以前PET-CTを受けたクリニックに行くものだと思い込んでいました。
危うくかなり離れたクリニックまで行ってしまうところでした。

看護師さんに
「3時半の予約なのでその15分前に外来受付で受付を済ませてください」
と言われ、
「〇〇クリニックじゃないんですか?」とお聞きすると、予約票を確認の上、
「ここですね」
と一言。

最近こういったうっかりがわりとあります。
もともと早合点しがちなのですが、輪をかけて…。
もしかしてコレって、コロナの後遺症・ブレインフォグ?

とにかく場所と日時を再確認できたのでヨシ!

当日。
特に食事制限などはなく、午後3時過ぎということもあり、外来受付も人はまばら。
そのまま放射線科へ。
予約時間より少し早かったので待合室でしばらく待っていたら、何人か来られました。

ようやく名前を呼ばれて中に入ると、上半身は全部脱いで検査着に着替えるようにという指示。
荷物はロッカーに入れ、金属のものは一切身に付けないようにとのこと。
今までこの病院で実際に検査室に持ち込ませたものとして、メガネや時計、磁気カードなどが挙げられていました。
私は昨年暮れに大腸内視鏡手術で体内クリップが入っていて、それが排出されたかどうか不明ですが、今回は乳房のみなのでセーフ!
意外なところでは、ヒートテックがアウトだそうです。

といった説明イラストを見ていたら、検査技師さんとは別に看護師さんがいらして、造影剤注入。

その時つけていたマスク、鼻のところにワイヤーが入っていたので、それも外すことになりました。

MRIは放射線でなく、磁気で調べるので被曝の心配はないのですが、金属によるダメージはかなり大変そう。

増毛パウダーだと頭皮に火傷の可能性もあるとか。
ということは、ウィッグをクリップで止めていたらそれも外さなくてはいけないということですね。

いよいよ検査室の中へ。
入口すぐの壁にロッカーの鍵をかけ、検査台に乗りました。

ここから検査技師さんが男性から女性に交代。

検査着の紐をほどいて前をはだけ、検査台の中の左右に穴の空いたところに乳房を入れます。
技師さんが「高さを調整します」と言って何かしていました。
これって、その厚みの分よりふくらみの足りない場合はどうなるのでしょうね。
なんて事を考える余裕がまだありました。

両手を上げてあとはもうなすがまま。
うつ伏せなので何をされているのか全然わかりません。

噂に聞く「大きな音が聞こえますのでヘッドフォンを付けますね」と、ヘッドフォンを装着。

「30分ほどかかりますが、絶対動かないで下さい」
との注意。
うつ伏せといっても、顔と台の間にはかなり距離があるので、呼吸は普通にできるし楽勝✌と思ってました、この時は。

そして技師さんが再び男性に代わり、検査が始まりました。
噂通りの轟音。
一体何の工事ですか?

でもPETほどは行ったり来たりはしませんでした。

が!!
左右の乳房は穴の中に収まっているけれど、間にある胸骨が当たる部分にはなんのクッションもない!
めちゃ痛い!

だれ?MRIが痛くないって言ったのは!!

これ、骨が痛いヤツ!

動くなと言われても少しでも楽な方に動かしたい!

もう音なんか聞こえない、ひたすら痛い!!

と思ってたのに。

なぜかウトウトしてたようです。

痛さにも轟音にも勝つ眠気って…

長いような短いような時間が終わり、終わりました、と声をかけられ起きようとしたところで待ったをかけられました。
再び技師さん交代。

女性技師さんがいらして、検査着を着るように言われて、紐を結びなおし、そして外へ。

ロッカーの鍵をあけ、着替えたところで精算書を渡され終了。

精算受付に渡して、あとはポイ活。
カードで支払っておしまい。

今回は検査のみだったのでサクサクと進みました。

おそらく今後も何回か受けることになるだろう、乳房MRI。
予習ができました。

ウィッグ、インナーキャップとも金属の使われていないものにする。
胸骨が痛いのは覚悟しておく。

自費診療だとかなり高いのですが、今回は保険診療なので8450円でした。

さぁ、いよいよ始まる抗がん剤治療!
初回は入院、帰って入院準備やで!

2年前に実家に帰省したときに、少しずつ両親の荷物の整理をしました。


当時両親は、施設の2人部屋で仲良く暮らしていました。

大きなものは弟がすでに粗大ゴミとして処理していたので、洋服や着物、アルバムなどの整理を。

リビングの棚に母の手帳がありました。

母は子供の頃から読書が好きだったらしく、小学生の頃、本に夢中になって朝礼に遅れ、みんなの前で叱られて恥ずかしかったと話してくれたことがありました。

私も、オレンジ色の岩波文庫がたくさん並んだ本棚を覚えています。

そんな母は、実家から図書館から歩いて行ける距離だったのでよく本を借りていたようです。

その手帳には借りた本のタイトル、著者、感想などが書き連ねてありました。
気に入った文章はまるまる書き写していたようです。

様々なジャンルの本を読んでいましたが、中に『認知症にならないために』という文言を見つけたときはなんとも言えない辛さ、哀しさに。

本の感想だけでなく、時事問題にも関心があったようで、当時考えていたことも書かれていました。

知らない用語が出てくると書いて覚える、そんな感じでしょうか。

そして…

東日本大震災の日。



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このあとしばらく、次々と出てくる震災関連用語を書き留めていました。

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続いて募金の宛先、ボランティア活動について調べたことなども。


今の母は要介護度5。
読み書きはもちろん、会話もできません。


何かにつけて手紙を書いてくれた母の懐かしい筆跡。
これも新しく増えることはありません。



振り返ると、何一つ母の気持ちに寄り添うことはしてきませんでした。

高3の夏、両親に相談することなく勝手に進路を決め、奨学金の申請をしました。

母は地元の県立短大に進学し、銀行か市役所に就職し、転勤のない市役所勤務の人と結婚してほしいと思っていたようです。

進学も、結婚も全て事後承諾。
せめてお付き合いしている人がいるくらいは知らせてほしかった、と後から言われました。

そして母の願いを叶えることなく、遠く離れた信州で結婚。

初孫の長女が生まれた時のこと。
胎内での低酸素状態が長く、心音低下。
母体を助けるための帝王切開の末生まれた長女は羊水を飲み込み肺炎を起こしていたため、小児ICUのある別の病院へ救急搬送されました。

産後の手伝いに来てくれた母は、長女を一度も抱っこさせてもらえず、ガラス越しに保育器の孫の姿を見るだけで実家に帰ることになりました。



伯母の荷物の整理をしていたら、母が伯母に宛てた葉書が出てきました。

階段から落ちて腰を痛めて長期入院していたときのものでした。

あの時も…

本当はどれだけ私にそばにいて欲しかったことだろう。
今ならわかります。

当時は毎日娘たちのお稽古事の送り迎え、学校事務の仕事と、長く休める状況ではありませんでした。

それは私の都合。

そして、コロナ禍の2020年。
7月に父が入院し、その間母はショートステイで暮らすことになりました。

あの時。
私が帰省して母と暮らしていたら、母の認知症は少しは進行が遅くなったのではないかという思いは今もあります。

県外からの帰省客に対しては、今では考えられないほどの規制がかかっていました。
あの時私が帰省していたら、母はそれまで通っていたデイサービスに通えず、訪問介護も受けられなくなります。
私が京都に戻ってからも2週間はその状況に。
つまり、父が退院してから2週間は誰の援助も届かないことになります。

それを考えると帰省できませんでした。

誰も知る人のいないショートステイ、他に入居者のいないフロアに1人。
施設の方はとても良くしてくださったけれど、毎日家に帰りたいと言って泣いている母は、一気に認知症が進みました。

10月に帰省して、ベランダ越しに対面した母は私の顔をすっかり忘れていました。 

2月に帰省した時は普通に暮らしていたのに。

早朝の飛行機だったので、6時のタクシーに乗った時、
「こんな早うに帰るの?ご飯も食べんの?」
「飛行機の時間が早いからね。ご飯は空港で食べるわ」
これが母との最後の会話になりました。

私の中の母の最後の〈母としての姿〉はこんなにも寂しそうな表情。

これが何一つ母の気持ちに寄り添ってこなかった私に与えられた罰です。

これはこれから先ずっと背負っていくことになります。



でも。

母がまだ元気だった頃。

今の私がどれだけ幸せに暮らしているかを話しました。
「今私がこんなに幸せなのは、私を産んでくれて、育ててくれたからだよ。ありがとうね」

と言うことができました。

産んでくれてありがとう

この一言を伝えられたことだけが、数多ある後悔のなかで、ただ一つの灯りとなっています。

18歳で親元を離れてからは、年に一度帰省する程度しか顔を合わせることのない母娘でした。

母は女として私に伝えたかったことがあったことでしょう。
その気持ちを汲みとるだけの成熟度が私には足りていませんでした。



今年の4月。
3月から点滴のみで命をつないでいる母の元を訪ねました。
認知症の方には「お母さん」「ばぁば」ではなく、自分が呼ばれていた名前で呼びかけるといいと聞き、祖父母や伯母が呼んでいたように呼びかけてみました。

「じゅんちゃん、会いに来たよ」

母は手を伸ばし、私の腕をさすりました。
帰る時
「じゅんちゃん、帰るね。また来るからね。」

母はとても寂しそうな顔になりました。

表情に変化がある事自体不思議なこと。
きっと私のことを私だとわかったんだと思います。そう思い込みます。



今度帰省した時は、実家に残された母の手帳を読み返しながら、母の人生を辿ってみようと思います。



ちなみにですが。

3月に「急変もありうる」と言われ、長くて3ヶ月と言われた母ですが、現在介護医療院で車椅子でのリハビリを受けるまでになりました。
残された時間をゆっくりと歩んでいます。