『守口百景 古今東西』2019(第3集)
1931
守口市立母子寮(南寺方北通)

 終戦後、守口市も他市と同様に戦争未亡人の家庭や戦災被害者が生まれ、配偶者のいない母子家庭が多くなりました。
 そういった女子と児童の自立更生を目指した施設として、総工費150万円をかけて建設されたのが守口市立母子寮で、昭和23年(1948)6月に守口市南寺方北通りに開所されました。
敷地112坪の2階建ての建物で本館のほか32坪のミシン室もあり、母子家庭18世帯が入所されました。
 昭和26年(1951)3月に国民の生活を安定させるために「社会福祉法」が制定され、所管区域に福祉に関する事務所を設置することになりましたが、守口市では全国に先駆けて、保育所や母子寮などが建設されていた先進都市であったと言えます。
 保健、衛生面には特に注意して嘱託医が年に2回定期診察をしていました。娯楽文化面では、月刊誌や映画会が行われたり、巡回の文庫などもありました。
 この社会福祉法の制定により守口市母子福祉会が結成され、昭和31年8月には母子家庭を支援するために守口市母子後援会も結成されました。
 教諭時代の私はこの母子寮へ家庭訪問でよく伺いました。「有難い事です、こんな所があり」と感謝されていたお母さんがおられたことを昨日のことのように覚えています。グラフ守口No.9(1972.3)
(文:郷土史研究家・岸田護)
転載:守口市民憲章制定50周年記念誌『守口百景 古今東西』2023年3月10日発行
テキスト入力:元守口市民憲章副会長 浜上(はまがみ)