『百景絵はがき』文禄堤 うだつのある家
守口百景「古今東西」『百景絵はがき』文禄堤 うだつのある家※このページの『百景絵はがき』は権利作品のため掲載できません。 文禄堤は豊臣秀吉が文禄3年(1594)から慶長元年(1596)にかけ、毛利三家などの大名に命じて伏見城と大坂城を結ぶ長さ15281間(約27.8㌔)の淀川左岸に築堤された堤防道です。文禄堤が現存しているのは、守口の宿場跡の720㍍だけで貴重な文化財です。江戸の昔、守口宿の半分は文禄堤の上にあり、今は本町ですが土地の人は「つつみの町」と呼んでおれます。 宿場時代は虫籠窓に漆喰を塗り込こみ、庇屋根の両側に袖壁が上がった多くの商家が建ち並んでいましたが、今はそのような面影を残しているのは5、6軒だけです。 卯建(うだつ)とは絵にあるように、二階の両側にある袖壁で家紋の入った卯建もあります。本来の目的は、防災や隣家との目隠しや風雨除けです。卯建は一般には借家は上げることができず、一人前の成功者だけが上げました。成 功者を顕示した象徴とも言えます。 本来、卯(宇)建は、梁(はり)の上にあり、棟木(むなぎ)をささえる短い柱で、いつも上から押さえつけられ動けないことから、なかなか出世できないことを「うだつが上がらない」と言われるようになりました。(文:郷土史研究家・岸田護)転載:守口市民憲章制定50周年記念誌『守口百景 古今東西』2023年3月10日発行テキスト入力:元守口市民憲章副会長 浜上(はまがみ)