『守口百景 古今東西』2019(第3集)
1911
大阪市電(路面電車)守口 大阪市交通局868形路面電車

 写真は昭和28年(1953)ごろの国道1号線京阪本通2丁目交差点付近から内環状線方向にむかって撮ったもので、遠くに電車や市バスが写り右手に多く人がバス待ちをされています。右端にある都島自動車商会さんは現在も営業され、 タクシー業務を行っておられます。
 大阪市電の守口線の延長には住民の強い陳情があり、寄付者には「本電車線路ノ内旧市部ヲ除キ道路敷地三万三千坪、車庫敷地七千坪ヲ寄付スル」人もいました。
 軌道敷地の予定地は淀川の廃川地で、盛り土をする必要があり、特に都島車庫の東は一面の湿地帯で葦が生え茂り水の深い所があり、電車軌道の敷地や金銭面でいろいろ課題があり議会も何度も開かれましたが、昭和6年(1931)についに念願がかない市電が守口町土居まで乗り入れられました。
 守口町議会は、さらに京阪電車守口市駅までの延長を全会一致で決議し、大阪市へ陳情書を提出しました。しかし大阪市は費用が25万円もかかるとのことで二の足を踏んでいましたが、守口町では翌年にかけ延長促進の住民運動がおこりました。
 特に当時の菊田町長は「市電が町の入口までついただけでは町としては頗(すこぶ)るものたらぬので今度は京阪の停留所前まで乗入方を運動したわけで、僅か7町余のところに市電が延長されるとされぬとでは町の繁栄にも重大な影響があり、その上、京阪電車と市電の連絡は最も必要なことと思ふ。今のところ実現するかどうか判らぬ為、極力市当局に運動して実現に努めるつもりでゐる」語っていた。『大阪朝日新聞、昭和6年1月14日』
 京阪国道を東に進み、淀川工科高校のところ(現在の市役所前)を右折して、守居橋をくぐり京阪電車守口市駅に連絡する路線を計画していましたが、実現は叶いませんでした。
(文:郷土史研究家・岸田護)
転載:守口市民憲章制定50周年記念誌『守口百景 古今東西』2023年3月10日発行
テキスト入力:元守口市民憲章副会長 浜上(はまがみ)