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佐太天神宮

佐太中町7丁目

木版画同好会「ばれんの会」

服部 昌之

 

菅原道真が太宰府へ流される途中、しばらく舟を繋いだところで、菅公死後の天暦年間(947~57年)に菅公を慕って祠を建てたのが創建であると伝えられている。室町期には大庭庄の惣社として崇敬されるようになった。現在の社殿は永井尚政・尚庸父子や淀屋辰五郎たちの手厚い保護のもとに整備された。

 

国道1号線(寝屋川バイパス)を京都方面に入るとすぐ右手に見える神社が佐太天神宮である。守口市の一番北の端に当たる。昔は淀川の堤防から木々に囲まれた参道が続いていたのだが今は国道が横切ってしまい一の鳥居や道標の位置も遠慮したかのように立っている。もちろん天神様即ち菅原道真公をお祭りしてある。当時文才で知られた菅原道真が、藤原氏の権力争いの犠牲となって左遷されたのは、延喜元年(901年)のことであるから、そのころの中央の話がどうして民間に伝わって信仰の対象となっていったのか不思議な気がする。道真死後の天変地異や飢饉や疫病の流行が、菅原道真の怨念によるものと流布されたことから、各地の天神の祭祀となったそうだが、現在のような神社になるには、かなりの年月を要したことだろう。この参道の古い灯籠や石柱門などに刻まれた年号を見ても、それぞれの歴史の背景や民間信仰の様子など、今日まで変遷してきた様子が忍ばれ面白い。

阪口春彦

(佐太中町6丁目)

提供:三森定昭

転載:守口市民憲章制定25周年記念木版画集『守口百景』

作成:守口市木版画同好会ばれんの会1998年

テキスト入力:元市民憲章副会長 はまがみ