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1号線鳥飼大橋付近

大日町2丁目

木版画同好会「ばれんの会」

清田初美

 

昭和2 9年、木製の橋から鉄筋の鳥飼大橋(当時は有料)が完成。昭和30年に八島~枚方間の1号線が、さらに昭和44年には中央環状線も一部開通。現在は鳥飼大橋からの寝屋川バイパスが1号線となり、さらにモノレールも開通し、交通の要となっている。

 

昔、夏になると子供達は、淀川の本流やわんどでよく泳いだものだった。その頃は、鳥飼の渡し船が大庭七番と鳥飼の舟つき場を往復し、人や自転車を運んでいて、鳥飼大橋はまだ架かってはいなかった。最初に木造の大橋が架かり渡し舟は廃止された。

この木造の大橋は砂利道で、人や馬車が往来し砂ぼこりがたちこめていたのを想い出す。

その後、今ある鉄骨の大橋(北行きの府道)に造り変えられ、有料大橋になった。そして、有料も廃止され南行の大橋も完成した。千里丘での万博の開催にともない阪神高速道路が開通し、国道1号線も新たに開通した。道路網の整備により、鳥飼大橋付近の風景が一変し、自動車の渋滞が毎日続いている。夏には、子供が淀川で魚つりをしたり、泳いだりした、あの昔ののどかだった頃や、淀川堤防が旧国道1号線であったのが懐かしく思い出される今日この頃である。

木村久夫

(大庭町1丁目)

転載:守口市民憲章制定25周年記念木版画集『守口百景』
作成:守口市木版画同好会ばれんの会1998年
テキスト入力:元市民憲章副会長 はまがみ