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喜左衛門記念碑

南寺方中通1丁目

木版画同好会「ばれんの会」

岩見正行

 

旧寺方荘をはじめとした12ヶ村一帯は、排水の便が悪く、村民は常に悪水に悩まされており、この地に樋を設けることを幕府に願い出たが認められず、思いあまった庄屋喜左衛門は、寛永11年(1634年)に独断で樋を築き水害を一掃した。樋はそのまま残されたが、喜左衛門は幕府を無視したと処刑された。

 

庄屋喜左衛門は、今から360年余り前、一身一家を犠牲に、官位を無視して独断で樋門を築き、12ヶ村の農民を水害から救災したのです。当時、江戸時代を通じて稲の栽培は農業の中心でありました。しかし封建社会では酷しい支配下のもと。農民に対し重い年貢が課せられ、天候に左右されながらの苦労がありました。特に水に対する利害がいかに重大であり、厳しいものであったかうかがい知ることができます。やがてこの時代も終り、村民は喜左衛門の偉徳を慕って、明治15年3月15日、記念碑を建立し、その後はこの日を命日として、南寺方両農業組合により毎年法要が行なわれております。樋門は中央環状線の改修に伴い現在、門真市二島町の南西に位置する、中央分離帯に石碑を建立し、法要時にはお参りが行われております。現在は、恩恵を受けた各地域の1割余りの水田がかろうじて残っている状況です。社会の変遷する中で、この偉業を永く後世に伝えていきたいと願っております。

北端一男

(南寺方南通2丁目)

転載:守口市民憲章制定25周年記念木版画集『守口百景』
作成:守口市木版画同好会ばれんの会1998年
テキスト入力:元市民憲章副会長 はまがみ