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来迎坂

本町2丁目

木版画同好会「ばれんの会」

清田初美

 

京街道の文禄堤沿いに道標「右ならのざきみち」が今なお残っており、石段の坂道、来迎坂を下り難宗寺を経て、旧奈良街道へと通じている。周囲の建物と共に往時の面影をしのばせている。

 

時空の道とも言える文禄堤に住んで60余年。豊臣秀吉がつくったこの堤にも、時の移り変りを見る。幼かりし頃に遊んだ船着き場であり、旅宿であった魚万楼も、今は高層ビルのMIDに。同じく中島屋は診療所に。今なお往時の面影を残す徳永家もまもなくマンションになるという。古き家並がポッポツと残るこの街道筋も近代]化の波にのまれてゆくのはいささか淋しい限りである。仕方のないこととはいえ、残すべきは残し、往時の情緒の片々のうかがえる落ち着いた街なみとしての景観の保存と再生の可能性はないものであろうか。かつて酒屋としてあった田中屋がこの3月、中国料亭として甦った。百余年の歴史をもつ商家と薬膳菜との出会いという触れ込みの中に、瓦葺きの日本家屋の息づかいが聞こえてくるようだ。再びの甦りを参考に、生かすべきは生かし、懐旧と新生の街道筋としての街づくりの手本としてゆきたい。それにしても電柱という無粋なものの地中化を、改装中の道路舗装と併行して出来なかった。

鳥ことは残念である。人々を魅きよせ、心和ませる景観をもった街づくりへの心づかいを行政も市民も共に考え、行動することが繁栄ヘの道につながると思うのだが。守口の歴史街道は、時空を越えて文禄堤にありと思う。旧家いま中国料亭街薄暑

青狼

福田廣儀

(本町2丁目)

転載:守口市民憲章制定25周年記念木版画集『守口百景』
作成:守口市木版画同好会ばれんの会1998年
テキスト入力:元市民憲章副会長 はまがみ