この物語は英雄になる物語でなく、英雄となってしまった男が葛藤し苦しむ「ハッピーエンドのその先」を描いた作品だ。
ヨーロッパが戦禍にのまれ、反革命の内乱まで勃発した混乱の最中で、 自分にとって最大の「家族」であった親友に裏切られ (たと、ロベスピエールは思わされている)、武力の行使、恐怖政治へと踏み切る。
ロベスピエールが
あまり・・・かっこよくない。(ボソッ)
非常に人間的だ。
悪く言うと、凡庸に見える。
だからこそ、彼の葛藤と追い詰められていく感じが苦しいほど伝わってくる。
革命という題材の割には、カタルシスがない。
「恐怖政治だーー!」 と歌い上げられても共感できないし、壊れた革命を今一度正常に!!というのも盛り上がりづらい。
ロベスピエールが破滅に至るにしても、だんだん暗雲立ち込めてくるという感じで、幕引きもドラマティックとは言い難い。
「世界は終わる、ドカンとではなく、メソメソと」という言葉を思い出した。
だいもんが、追い詰められていくたびに歌のトーンを変えていくのはさすが。
戦争に反対するシーンでは荒々しいが落ち着いていて、真実味がある。
恐怖政治の歌のときは、響きは不隠で、早口で上滑りしていくようなピッチになっている。
ロベスピエールの迷いと罪悪感、それを直視することをさけるために頑なとなっていく様がよく見える。
一見明るい壮大な曲が多いからわかりにくいけど、この作品は悲劇の部類だ。
望海さんが作るイノセントなマクシムの表情と、豹変した際の強張った表情があまりに痛々しくて、人間マクシミリアン・ロベスピエールが、哀れで愛しく思えてくる。
最後マリーアンヌを旅立たせるとき、マクシムが再びイノセントな表情に戻っているのが、切ない。
■あーさの顔面力 = あーさの演技力
ロベスピエールを愛するあまり結果的に追い詰めていくサンジュスト・朝美 絢が見事。
だいもんの歌唱力がだいもんの演技の説得力そのものであるように、あーさの顔面力は、あーさの演技力そのもの。
あの完璧な美しい顔で唇を持ち上げれば冷笑になり、目を細めれば侮蔑になり、眼が光ればよこしまになる。
説得力になるほどの美と、その美を使いこなす演技力に脱帽である。
■ホームドラマ
この作品は生田先生にとって、一種のホームドラマではないかと思う。
やたらと夫婦が出てくる。
ダントンの妻、デムーランの妻、ルバの妻、印刷所のルノー夫婦。
もちろんfor 組子という宝塚事情もあるだろうが、どの夫婦もいつも一緒にいて、短いながらも夫婦ならではの台詞がある。
これは生活者であること、夫婦や家族という小さな社会構成単位を強調しているのだと感じた。
この作品で「ロベスピエール」のような名字でなく、「マキシム」という友人や家族の使う呼称を多用しているところも、公人より私人としてのロベスピエールを強調したかったのかもしれない。
「愛のために世界を変える」 というのは、国家の劇的な変化を意味しているのではなく、家族に代表される巷の小さな生活を守ることをさしているのだと思う。
ロベスピエールも家族に憧れているから、マリーアンヌとマクシムは家族についての過去の回想シーンで強く結びつく。
マクシムの家族が笑っていた同じ風景の中にマリーアンヌの家族が現れ、穏やかに笑う。
二人のルーツが家族であること、そのために戦っていること、二人の夢が融和して溶けあったとても美しいシーンだった。
愛する人を得て、革命の意義を 「平穏な人々の小さな暮らし、身分の差がなく誰もが愛し合える平和な世界」 ととらえなおし (るろ剣??)、息を吹き返したロベスピエール。
対してダントンは、崩壊の渦中に最愛の妻ガブリエルを失う。
彼は家族を失ったことで、革命へ参与する熱意を失っていったように見える。
議会を追放されたときも、恐怖政治を止めようとロベスピエールと対決したときも、豪放磊落な態度の中に、どこか投げやりですさんだ雰囲気が出ていたように見えた。
史実でも大変な愛妻家と言われたダントンだ。変わらないものなんてないと、妻の死を機に悟ったのかもしれない。
「人生は楽しまないと損だ」 の台詞の中には、妻を失ったむなしさもあったように見える。
咲ちゃん(彩風 咲奈)のダントンがとてもいい
口元をゆがめたり、にやりと笑う傲岸不遜な表情、肩をいからして歩く歩き方、体つきは細いのに、合法磊落な感じがとてもよく出ていた。
処刑の時の、人を食ったような皮肉で飄々とした表情も切ない。
余談ですが、プログラムの中の、身をかがめて手を差し伸べてる写真が大好きです。
(しかし、ロベスピエールとの最後の晩餐のシーンの空気感、完全に、別れ話してる男女)
■女性革命家
「女が議員になれないなんておかしな話さ」
「街じゅうでパンがなくなったときも、ベルサイユまで取りに行ったのはあたし達だ」
「どんなにはいつくばっても、明日は今日よりいい日になる」
女性革命家達が気炎を上げるシーン、草の根の革命の逞しさに溢れてて、生き生きしてる。
きゃびい様、あゆみ様、ヒメ (舞咲 りん)のオランプ、かれん姉さんのポーリーヌ、確かサンキュロット派の可愛い赤帽子かぶってたと思うけど、キュートなのにガハハワイルドで最高。
このシーンでも思うのは、「生活 VS 理念」 「家族 vs 国家」 の戦いで、生田先生自身は「生活」 の側に焦点をあててるんだなあ、と。
■もうひとりの主人公
マリーアンヌ(真彩希帆)は、見事にもう一人の主人公だったと思う。
マクシムに恋をし、憎しみを手放し、革命の真の意義 =自由に触れ、歩き始めていく一人の女性。
貴族出身のマリーアンヌは、革命=自分たち貴族の自由を脅かすもの、暴力的に全てを奪っていくもの、という認識だっただろう。
けれどパリで、ロベスピエールと出会い、革命家たちの理想に触れ、女性革命家達に出会い、全ての人間の自由のための戦いだと知る。
無知からきた憎しみを捨て、自分の人生を歩き始めようとする。
二度目にマキシムを殺そうとしたときは、私憤のためではなく、自分を含め家族を殺された人民の正義のためだった。
そういう意味で、彼女も革命家だった。
牢屋で 「もっと普通に出会っていられなかっただろうか」 とたずねたマキシムに、「本当ね・・。」 と同調し嘆くのではなく、
「いいえ、きっと出会うことすらなかったわ」
と答えるマリーアンヌ、イカス。
革命がなければ、身分差を越えた出会いも、居住する地区を越えてパリにくる自由もなかった。
マリーアンヌの新しい人生は、確かにロベスピエール達が与えたのだ。
革命政府は崩れたが、タレーランが言うように、人々の心を自由と友愛にめざめさせた。
「ひかりふる路」 とは、マリーアンヌや彼女のような名もなき庶民がたどった道のことだと思う。
希望と自由の光。
その光は大陸を越えてヨーロッパ諸国にも広がっていき、近代から現代へ、時代を押し流していくうねりとなる。
最後、真っ白な服を着たマクシムが、そっとマリーアンヌの背中を押す。
それは恋人の背中を押すというより、一人の同志を自由の光の中へ送り出した、革命の聖人のように見えた。
あの階段を上がってったら、ロベ様列聖されるんだよね?
真彩ちゃんも冒頭の脅すような声、決意の低い声とは打って変わって、不安な高い声、震える絶望の声と使い分けていて見事。
ロベスピエールとマリーアンヌが舞台の上手と下手に別れて、心の声で掛け合う 「葛藤と焦燥」
二人の声が同じ力量でぶつかりあい、一歩も引かずにせめぎ合ってる。
二人が上の音階と下の音階で、別の歌詞を歌いながらハモるところ、緊張感がみなぎっていて絶妙に響きあってすばらしかった。
もっともっと長いフレーズを一緒に歌ってほしかった。
■他キャスト
皆様、処刑される時がかっこよすぎる。
後ろ手に手をしばられて連行されるときの、憮然とした表情やたたずまいが異様にうまい。
りーしゃ(透真 かずき) のジャン・マリー・ロランのひげがやばいし、真地君も顔をどす黒くしてて最高。
あきら(叶 ゆうり) も憤怒してたし、まなはるは今回ちょっと声色を変えてる?
自分が処刑されるならこんな風にありたいナンバーワンは、やっぱり凪様(ロラン夫人)。
気高く、美しく、毅然としてて威厳がある。
今回、高笑いもとーーーってもよかった。
デムーラン (沙央 くらま) の涙で潤んだ姿も泣けるし、奥さんのみちるちゃん (彩 みちる)が、これまた凛として賢そうでうつくしいんだ・・・・