みなさん、おはようございました。ヾ(´ω`=´ω`)ノ♪ 2月15日(火曜日)です。
今朝は6時5分前(5時55分/GO!GO!GO!)に目が覚めて、(*´ω`*)♡ 見ていた夢は、小走りに走れるようになっていた自分の走っている夢でした。
自分のからだが自由に動かせるというごく、ごく普通の・・スキップしたり、飛んだり、跳ねたり、孫たちの身体機能と身体能力を横目に見ていると・・脳にダメージ(右視床下/脳出血)を受けて!健常者であれば、フツーに出来ることも出来なくなり、今年の春で9年かんになります。
9年間もずっと、不自由な身体を毎日、体験させられ続けている自分は、毎日何を考えて生きているのでしょうか・・(後悔先に立たず!/もう、あの時の健康な自分は記憶の中にしかいませんえん、)
現実は、いつも・・からだの痛みと向き合い心の痛みを感じさせられて・・思い直しと考え直しをさせられているような・・そんな自分がたどってきた道を子や孫や・・大切な人たちに・・同じ苦労や失敗をさせたくはないけれども・・人はおろかなもので・・言っても聞かない!やっても覚えない!人のいうことを素直に聞いてもらえるような人間でもない自分ですが・・わが身を持って教え伝えていく行動で示すことしか方法もない!「お水が大切なこと!呼吸が大切なこと!」いくら言っても、聞いてはくれない!
誰が悪いんでもなく・・自分が蒔いてきた種が原因と結果の法則に現れているだけのことで・・誰も悪くはない!他人を責めても自分を責めることになるだけで。。自分を責めてもイケない!もちろん他人を責めることはもっとイケナイことだ。
自分が変われば・・世界は変わる。自分が変わらなければ・・・(´・ω・`)? ナニも変らんのです。
今日の日めくりのカレンダーに書かれてあることわざは「心の矢は石にも立つ」でした。
心の矢は石にも立つ
一念を込めてやれば、どんなことでもできることをいうたとえ。漢の李広が石を虎と見誤って矢を射たところ、矢が石に立ったという「史記」李広伝の故事による。(goo辞書による)
石に立つ矢とは、どんなことでも、必死になって行えば必ずできるということのたとえ。『韓詩外伝』の楚の熊渠子や、『史記(李広伝)』の李広という勇将が、大石を見誤って虎だと思って弓を射ったところ、立つはずのない矢が石に突き刺さったという故事から。(故事ことわざ辞典)
よく似た意味を持つことわざに「一念岩をも通す」がある。小学6年の卒業で寄せ書きに書いた「強い意思(意志)を持て!!」という言葉が頭から離れていないわたくしには、いつも戒めに聞こえてきます。スグにあきらめてしまうようなことに心を惑わされてはいけません。自分がほんとうにそうなりたいなら、決して曖昧な覚悟や中途半端な思い出は、何事も叶わない。(-_-)/~~~ピシー!ピシー!もっと強い覚悟を以て!!
一念岩をも通す
一念岩をも通すとは、どんなことでも一途に思いを込めてやれば成就するということ。「一念」は、一途に思いを込めること。
物事をするときに、岩のように堅く大きな障害があったとしても、必死になって取り組めばその壁を乗り越え必ず成就させることができる。
李広が、草の中にいる虎を石と見間違えて弓を射たら、その矢は刺さるはずのない石に突き刺さったという「石に立つ矢」の故事に基づく。【故事ことわざ辞典】
今日も明るく!楽しく!元気よく!笑顔を忘れずに! いってらっしゃ~~い( `ー´)ノ☀