こんにちは。

当ブログでは現在、箱根駅伝の振り返りを行っているところですが、今回は趣向を変えたテーマの記事です。

 

 

箱根駅伝を走る選手たちがその肩にかけている襷には、数えきれないくらい多くの人の思いがこもっています。実際に走る10人だけでなく、走れなかったチームメイト、さらには伝統を繋いできたOBたち。当方はそんな箱根駅伝にかける人々の思い、ドラマを紹介することで箱根駅伝をより楽しんでもらいたいとの志で日々活動しています。

 

 

 

つまり、これからは今まであまり触れてこなかった“OB”にも焦点を当てていきたいのです。彼らが必死に繋いできた想いは必ず、現役の選手たちにも受け継がれています。例えば、東洋大は二代目山の神”柏原”が3年次の箱根駅伝においてわずか21秒差で早稲田大に敗れたとき、「その1秒を削り出せ」のチームスローガンが生まれました。その魂が7年経った現在の東洋大にも受け継がれていることは、彼らの走りを見ればわかると思います。

 

 

 

過去を知ることで今をもっと知ることができる。と言うことで過去に箱根駅伝を走った選手にスポットライトを当てて、その成長の軌跡を紹介します。題してシリーズ「箱根路を駆けた名選手たち」です。不定期で月に一度程度更新できればと思いますので、読んでいただけると嬉しいです。

 

 

 

さて、前置きが長くなりましたが、今回紹介する選手は「牟田 祐樹(明治大卒)」です。彼の箱根駅伝にはドラマが溢れています。

 

 

〇大学時代

埼玉の西武文理高校から明治大に進学した牟田。キラリと光るスピードは持っていましたが、1学年上に大六野世代、同学年に横手、木村と強い選手が揃っていたことから下級生時は箱根駅伝を走ることができませんでした。

 

やっと箱根路を走ることができた3年次。しかし結果は8区13位。順位も落としてしまい、納得できないデビュー戦となってしまいました。

 

そして迎えた4年次。持ち味のスピードに磨きをかけ、関東インカレでは1500mで4位、5000mで5位と大活躍を見せたことから、駅伝でも主力としての走りが期待されました。しかし、出雲ではつなぎ区間の4区で8位、全日本では出走メンバーから外れるという厳しい結果に終わります。

 

「牟田はロードでは弱い」

そんな厳しい声も囁かれる中、最後の箱根で牟田のポテンシャルがついに爆発します。

 

その大会、明治大は苦しみました。往路で区間最下位のブレーキが2区間出てしまい、7区の牟田に襷が渡ったときには10位から7分以上離れた17位と絶望的な状況でした。

 

しかし、牟田は諦めずに前を追い続けました。運営管理車に乗って実況ツイートを行っている主務から「車が牟田に引き離されました」との名言が生まれるほどの快走。終わってみれば区間3位と大学駅伝で初めて好成績を残しました。

 

これまで苦しみ続けた牟田が最後に見せた走りには、明治大が失いかけていたプライドを取り戻してくれるような、そんな気持ちの強さがこもっていました。

 

 

〇社会人時代

明治大卒業後は日立物流に入社します。ニューイヤー駅伝では2年連続でスピード区間の3区を任されています。1年目は先頭で襷を受けながら区間20位の走りで順位を落としてしまいましたが、2年目は区間10位で4人抜きの好走。

 

スピードが武器の選手ですが、成長速度はゆっくりです。それでも一歩ずつ確実に強い選手に近付いています。

 

また、先日の都道府県対抗駅伝では、高校時代から熱望していた埼玉県代表についに選出されました。強豪選手の集まる3区でしっかり上位の流れに食らいつき、見事に優勝に貢献しました。残念ながら今まで走った駅伝でチームが好成績を残すことが少なかった牟田。

ついに全国大会での優勝で報われた姿を見ることができました。

 

 

 

〇最後に

今の明治大には昔の牟田と同じく、実力がありながらも、なかなかそれを本番で発揮できていない選手が多いように思われます。それでも牟田は努力を続けて最後の箱根路で花を咲かせました。彼のように、速さだけではなく、強さを身に付けるような選手が現れてほしいです。

 

いかがだったでしょうか。初の試みなのでわかりづらい部分があったかもしれませんが、これからこの企画も磨き上げていきたいと思っています。

 

次回は通常通り箱根駅伝の振り返りを行いますので、また読んでいただけると嬉しいです。

 

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