「僕はね・・・」 小さな声で何かを話したのだが覚えていない
「あーちゃん起きなさい」 母の呆れたような声で起越された
田植えの準備で汚れた手が鯉のぼりの口を大きく開いて
優しい母の笑顔が見えた時私は怖くなって大声で泣いた


「どうしたの?」 「あーちゃんみっ~け みっ~けたよ~」
母の胸に顔を埋めてる間中弟が何度も繰り返していた
翌日のよく晴れた朝 父が鯉のぼりを広げて括りつけ
ギシギシとロープを引いて大きな鯉のぼりを青空に上げていく


まるで生き物のように風を腹に蓄えた鯉を縁側で
飽きることなく見ていると「でっけぇよな家の鯉のぼり」
いつの間にか昨日の彼は隣に座っていたのだった
(夢見たのよ)と母に言われたがやっぱり彼は居たのだ


翌年も翌々年もその男の子は鯉のぼりの季節になるとやって来た
不思議に怖くは無かったが家族に聞いても 「夢でも見たんだっぺ
あーちゃんは何処でもコロンと寝ちまうかんな」 と笑われた
「違うもん本当に見たんだもん」悔しいから言うのをやめた

 
「あーちゃんはいいよなみんなに可愛がられてさ僕なんか・・・」
「なんで?お父さんやお母さんは居ないの?」「いるよでもね・・・」
立ちあがった彼の顔が青空の中に一瞬透けた様に見えた
「忘れちゃったのかな」彼の言葉の意味がよく解からないでいた


毎年出会う男の子は私の秘密の友達になっていた。
「来年は中学校生だね」 「うんバスケ部いくんだ」 「そっか僕は剣道」
「剣道?」「うん昔から剣道をするって決めてんだ」「あっうちの
お父ちゃんも剣道で段持ってるって言ってたよ教えて貰えば?」


「うん」 その時いつまでも鯉のぼりを見つめる彼の顔が
少しだけ寂しそうに思ったのはさらに数年も後からだった
「あ~ちゃんももう中学生になったから教えとくね」中一の春だ
鯉のぼりの虫干しにする作業中に母がさりげなく声を掛けてきた