当日まで元気だった母は
後遺症が残り
自由に動くこと
話すことが難しくなりました![]()
高次脳機能障害、半身麻痺、失語症
母の状態、年齢では
一般的に
回復は難しいと思われていますが
中には奇跡的な回復を
した人がいるのも事実で。
すぐに回復して元気になると
疑わなかった最初の頃。
予想より重い後遺症に愕然としたその後。
母の突然の事態に
家族みんな落ち込みましたが
1番辛いのは母だから、と
励まし合い続けた
5年の期間に
母が移り変わった
病院、施設は数知れず![]()
↓
救急病院
総合病院
小規模多機能型居宅介護施設
介護老人保健施設
特定養護老人ホーム
介護医療院
期限や容態の変化で
移らざるを得なかったのですが
こんなに転々とするとは
思いもしませんでした。
介護の施設名や制度は
耳馴染みもなく、
とにかく理解が難しい![]()

入退所の度の手続きや
必要なものの手配。
もしひとりだったら無理だった
心も対応も追いつかなかったよね
と家族でよく話しています![]()
母が倒れた時点で
父は70代後半👴
仕事一辺倒で、
家のことはほぼ母任せだった
昭和世代の父は
急に一人暮らしになって
自分は何を食べたらいいのかと
いうレベルでした![]()
そんな父も
掃除、洗濯、自炊と
慣れない家事を
徐々にこなせるようになり、
頻繁に母の面会にも行ってくれています。
父が気落ちしないよう、
近くに住む妹が頻繁に
行けるときには私も
父の元を訪れて
食事を一緒にとったり、
話をするようにしています。
私がフルタイムの仕事を始めた時期と
母が倒れた時期、
息子が体調をひどく壊した時期が全て重なり、
人生の試練としか
思えない期間もありましたが、
家族の誰かが
母の回復を願わない日は
なかったと思います。
そこまで想われる母は
改めてすごい、、![]()
と思うのです。
きっと母がいつも
私たちに寄り添い、
信じてくれ、
愛情をくれていた存在だったから。
誰でも
そんな愛をもらったら、
愛を返したくなる。
ただ、それに尽きる気がします。
私がもし倒れて同じ状況になったら、
夫と子どもたちは支え合いながら
ここまで想ってくれるのかなぁ、、![]()
先がどうなるかは
いま一瞬一瞬の積み重ね。
できることをしていくしかありません。
妹は
ソフトな手技で神経を繋げる
『小波津式』
を遠方まで通って習得し、
いまでは面会の度に
母に施してくれています。
難病の人も奇跡的な回復をした症例が数多くある療法
また、
私と妹は昨年伝授してもらった
光炎というエネルギー🔥を
面会時や遠隔でも
母に流しています。
お経や真言を唱えて
日々浄化したり。
目に見える手法も
見えない手法も
織り交ぜつつ、
できることを積み重ねています。
その先に待っている未来が
私がたまに見て号泣している
母の夢に繋がっていますように![]()
先日の夢でもすごく喋っていました!
祈りや願いは
誰かを守る力になったり
確実に届くもの。
叶うかどうかはその先にあるので
誰にも分かりませんが
いまこの瞬間が未来の一部。
『いま』を大事に
生きていけたらいいなと
思います![]()
