復活!?熱尻 石坂鉄平のパイルダーON! -3ページ目

復活!?熱尻 石坂鉄平のパイルダーON!

元プロレス団体KAIENTAI-DOJO、現(株)ふたば所属の石坂 鉄平が綴る、日々の日常と非日常の体験記。

千葉Blue Fieldで、みんなに愛された『大鉄』が、旅立った…。


12/9の夕飯時、1通の『ショートメール』が、鉄平の携帯に届く。


相手は、元相方であり、先輩の柏さんから。


『大鉄が天に召されました』
『大鉄の冥福を祈ってあげて下さい。』


ちょうど、仕事が落ち着き帰宅前の自分に向けて、衝撃的な内容だった。


『マジですか?』
『病気とかしてたんですか?』
『信じられません。いつ逝ったんですか?』


と、半ば混乱気味に柏さんへ、続けざまにショートメールを放つ鉄平。


直ぐに柏さんから電話がかかってきた。


『あー、色々面倒臭いから直接電話したわ。てか、へいちゃん元気?』


色んな意味で吹き出した(笑)


相変わらずな柏さん。いや、あんちゃんだった。


しばらく『大鉄』の近況~亡くなるまでの話を聞いた。

14年のと言う月日を重ねた『大鉄』は、しっかりと老犬になり、千葉Blue FieldとKAIENTAI DOJOと一緒にその歴史を刻んで来た。


鉄平は、7年ぐらいで引退をしたからその倍の歴史を見てきた『大鉄』は、尊敬する。


『大鉄』との出会いは、みちのくプロレスでデビュー戦をし、その後の東北巡業終わりで、心身ともに疲れきって千葉に戻って来た時になる。


仔犬だった『大鉄』には、本当に心から癒されたものだった。


当時は、Blue Fieldの屋内で元気いっぱい走り回っていたのだが、所構わず粗相をするので、表に住むことになる。


その頃は、『大鉄』の部屋(小屋)もなく、雨避けに廃材のトタン?みたいなものを設置された状態だった。


その後、記憶が曖昧なのだが、ホームセンターで購入したか、当時の井内GMが持ち込んだか、貰ったのか、とにかく『大鉄』の部屋(小屋)が、Blue Fieldの横にできたのだった。

つまり、あの部屋(小屋)もまた、『大鉄』と一緒に歴史を刻んでいった。




『大鉄』の散歩は、主に練習生の仕事であったものの、真霜や十嶋、1期生もみんなしていた。特に真霜は『大鉄』の散歩を進んでしていたような気がしたが、、、。


中々わがままな奴だったので、散歩も思うようには進まず、近くの散歩中の犬には、吠えまくるし、止まると中々動かないし、急に動き出したりするので、ちょくちょく静止するため鎖を引っ張られ、気がつけば、近所の犬に比べて明らかに首回りが太くなっていた(笑)


ある意味、レスラーに育てられた『レスラー犬』だった。


そんな『大鉄』が旅立ったその日、不思議と1期生の柏さんが、鉄平を初めとする1期生、2期生、リングアナ、スタッフに連絡を取り、それが切っ掛けとなりみんなの近況が聞けたり、繋がりを再びもたらしてくれた。


悲しい知らせのはずが、気がつけばお互い談笑に花が咲いた。



すべては、『大鉄』の最期の恩返しだった。



次のKAIENTAI DOJO Blue Field大会で、10カウントゴングが行われる。


『大鉄』の引退式。

直接観に行けないのが悔やまれるが、最期の舞台を遠い四国より見守りたい。



『大鉄』今までありがとう。


引退して、ゆっくり休んでね。





ここの所、週末の仕事量いや、重量が半端無い、、、。
ついつい昔取ったなんちゃらのノリで、ガンガン重量物を運んだものの、古傷の右膝をまんまと痛めてしまった鉄平です。

みなさんも仕事前や寝る前のストレッチは、しっかりやりましょうね(笑)


さて、2002年の4月から船出をしたKAIENTAI DOJOでしたが、千葉のBlue Fieldの集客となると大苦戦。


現在のBlue Fieldは、綺麗に青く塗装された美しい姿ではありますが、

鉄平達の創世記では、Blue Fieldと言う名ではあったものの、青い部分と言えば、出入口と選手入場ゲートのみ。




青い床もなければ柱もない。外観は完全に倉庫。


『千葉の倉庫』と、言われる所以でもあるわけで、プロレス会場と言われても何処にあるのか解らないといった状況。


当時は、現在の4期生(旭 志織)なんが、案内をする為に、バス停にボードを持って立っていたり、、、。


例えそんな会場でも、良い試合をすれば必ず満員になる!と、自分達は信じて日々Club-k500を行っていました。


そんな当時のKAIENTAI DOJOは、試合カードは、常に当日発表。


、、、と言うか、『第1試合、時間無制限1本勝負!!』

と、リングアナがコールをし、選手の曲が流れて、初めて誰が出てくるかが解るといったスタイル。
つまり、お目当ての選手が試合するかどうか解らないし、会場で選手が出てくるまでドキドキしながら待つ。

当たりもあればハズレもある、これは、WWF時代を経験したTAKAみちのく代表が試したかった事でもあった。




後に、Club-k2000(現Club-k3000)では、メインカードのみ発表。
更に後に、全カード発表のスタイルに移行していくのだが、頑なにClub-k500だけは、前者の入場曲が流れるまで誰が出てくるか解らないと言うスタイルを貫いていた。


TAKAみちのく代表は常々
『会場のお客さんの数が20人を切ったら、俺が出る!』
と言い続けていたものの、結局、それは実現する事はなかったのだが、、、。

良くも悪くも、鉄平の記憶の中のBlue Field最低入場客数は、23名だったと思う。しかも、それはClub-k500ではなく、雪の降る寒い日のRAVEの興行だったような、、、。



しかしながら、この入場曲が鳴ってから誰が出てくるか解るスタイルは時として奇跡も産んできた。


2002年5月9日(木)
メインイベントで、藤田ミノルさんの曲が流れた時、会場にいた30人の観客が地鳴りのような歓声が上がった、、、。




当時は、TAKAみちのく代表、藤田ミノルさんの2人は、Club-k2000(土)でしか見ることのできない選手。

藤田ミノルさんサプライズ出場で、この会場に来たお客さんは、500円以上の価値を見出だし、満足して帰路につく。


この初期に行われたサプライズを機に、Club-k500を卒業する事が、創世記の所属選手の1つの目標ともなった。


さて、今回のClub-k500の話はこの辺で。
【鉄は熱いうちに打て】と、言う諺かあるぐらいなんで、さっそくblogを更新してみた石坂鉄平です(笑)

TAKAみちのく代表は、K-DOJO選手、スタッフが1日でも早く興行をすることに慣れ、また、クオリティーの高い試合を提供できる事を考えて、週に3回興行を開催した。

火曜と木曜の2興行をClub-k500とし、1大会の料金を500円で見れる興行形態で行っていた。

その時の記念すべき、初めてのClub-k500の試合結果は、下記のようになっています。


2002年4月23日(火)
千葉Blue Field 観衆32人

第1試合 時間無制限1本勝負
○石坂鉄平(5分38秒 熱血アームロック)松本だいすけ●

第2試合 時間無制限1本勝負
○お船(16秒お船ックロック)DJニラ●withアップルみゆき
◎特別試合 ハンディキャップマッチ 時間無制限1本勝負
○お船(1分39秒 お船ちゃんカッター→片エビ固め)DJニラ●&アップルみゆき

第3試合 時間無制限1本勝負
○真霜拳號(6分52秒 真剣→TKO)X no.2●

第4試合 サラウンドフォース(時間無制限1本勝負)
○Hi69(15分23秒トランスレイヴ→片エビ固め)マイク・リーjr.●
※出場選手 PABLO Mr.X X no.3 十島くにお サンボ大石 PSYCHO

第5試合 時間無制限1本勝負
○筑前りょう太&柏大五郎(10分55秒 かつぐばい)ジョー青山 ヤス・ウラノ●


(写真は、ある日のClub-k500)

えーっと(笑)
何から突っ込んで良いのやら…(笑)

1大会の入場料の合計が16000円に対し出場選手が19名。

一人辺りのファイトマネーは、単純に計算しても842円

もちろん、ここにレフリー2名、リングアナ2名、音響&照明1名、販売スタッフ1名が加わる訳ですから、入場料から算出される人件費は、一人辺り640円でした。

もちろんここに電気代など諸経費がのるわけなんですが、誰がどうみても赤字にしかならない訳で…(笑)

でも、裏を返せば、プロとしてデビューしたばかりの鉄平達にしてみたら、まだまだ、それだけの価値しかないわけです。


それでも鉄平達は、試合のできるありがたみと、この赤字をいつか必ず黒字にしてやると、【感謝】と【希望】を胸に前だけを向いていました。


そして何よりも、人前で自分達の今できる最大のパフォーマンスを披露していたのでした。

その結果が例え、良い結果であれ、失敗した結果であれです。


ちょっと、今回は、文字が多いblogになってしまった…。

と、反省しつつ、今回はこの辺で。