復活!?熱尻 石坂鉄平のパイルダーON! -22ページ目

復活!?熱尻 石坂鉄平のパイルダーON!

元プロレス団体KAIENTAI-DOJO、現(株)ふたば所属の石坂 鉄平が綴る、日々の日常と非日常の体験記。

いつも、当ブログをご覧いただきありがとうございます。

本来は、今回の更新で、「始まりのプエルトリコ⑪」をアップする予定でしたが、、、。

本日、仕事が休みと言うこともあり、つい二時間程前まで爆睡をしておりました。。。


今晩、続きの「始まりのプエルトリコ⑪」をアップ致しますので、それまで、何卒お待ちください。

前回同期のエピソードを書いておもったのですが、連続で同期のエピソードを書くより、間に挟んでいこうかな?と。

なので、今夜からは、TAKAみちのく代表との話を書いて行こうと思います。


代表!!覚悟しておいてくださいね(笑)





※困った時の神頼み、ではなく、柏頼みで、1つだけプエルトリコの黄色い悪魔のエピソードを載せておきます。



先日、仕事中に突然電話が鳴る。
相手は、黄色い悪魔から。

ン!?何故?

出てみると、「あ、へいちゃん?あのさぁ…」と、切り出す柏さん。

いや、ちょっとまって!柏さんと話すのは、昨年の6月以来、、、。その前に柏さんと話したのは、、、。それぐらい久しく話していないはずなのですが、さもさっきまで話をしていて、話忘れたことがあったから位のテンションの柏さん。


話の内容は、仲間の祝いをするけど、参加する?的な内容。

いやいや、今、住んでる場所、香川ですよ?
そんな、千葉の近所に住んでいるかのような誘い方、、、。

鉄平「いや、あの、なかなかですね、休みも取りづらい状況なんで、予定が決まってから、また、連絡下さいよ。調整しますんで。」

柏さん、3月末か4月頭位なんだけどと、かなりアバウトな予定を言って来たものなので、、、。

「そうかぁ、わかった。また、決まったら連絡するよ。あ、後、ブログ読んでるよ。」

え?マジか、、、。

「あ、ありがとうございます。あれ、あんまり怒らないんですね?」

「え?ああ、今、怒った所で殴れないじゃんか、会った時にするよ。んじゃね」

ガチャン、、。


「プエルトリコの黄色い悪魔」は、健在でした。


その数分後、柏さんからメールがきたのですが、、、




ああ、、、。そうですか。

どうでもいい訂正のメールありがとうございました。

ネタとして、ブログで使わせていただきます!


それでは、皆さん「始まりのプエルトリコ⑪」で、お会いしましょう。

今日はこの辺で。
何か起きたらまた、書きます、、、。
起きてしまいました。


真壁さんに、昨日ブログの写真許可を取らずに載せたことを伝えると、上記のツイートが、、、。

慌てて、直ぐに謝罪ツイートをすると、



、、、。完全に恐怖の大王が、降臨する事が確定いたしました。


明日からは、ビクビクしながら、毎日を過ごす事になりそうな鉄平です。



さて、今日で、プエルトリコ編も第10夜に突入します。

今回からは、プエルトリコでの同期とのエピソードを中心に書いていきます。

まずは、十嶋くにお。

くにおは、鉄平より2週間ほど、先にきていた模様。

すでに、色々なあだ名で呼ばれていた。

ちなみに、一緒に生活をしていた、パブロが、「スペースマン」と、呼んでいて、???と思っていたのですが、、、。

どうやら、くにおは、寝ている時に寝言を言う癖があるらしく、また、寝言だけではなく、手足を動かすようなのです。

くにおの隣で寝ていたパブロは、それを「宇宙と交信をしている」と、表現し、
「スペースマン」と呼ぶようになったとのこと。

確かに、パブロにしてみれば、DOJO生の名前を聞いても、聞きなれない言葉の名前なんで、覚えきれない。

そんな中、くにおの寝言を↑のように表現し、あだ名として、呼ぶ事で言葉の壁を越えたコミュニケーションを取っていたのだろう。

そんな「スペースマン」くにおの寝言は、かなりはっきりと言葉を言うタイプ。

「ちげぇ~よ!!」
「いいから、聞けって!」

などなど(笑)
最初は、びっくりしましたが、共同生活ならではな事なので、鉄平は楽しんでおりました。


また、ほかにも「クネ夫」と、言うあだ名。
これは、確かTAKAみちのく代表が、くにおを見たときに、「クネクネしているな」
と発したのがきっかけだったとか、、、。


クネ夫と呼ばれる事が多く、その響きを忠実に守ったまま、「十嶋くにお」と言うリングネームが、誕生したのでした。


くにおは、基本的トンパチな男だった為、
ファストフードで注文をする時も、決して英語もスペイン語も使わず、日本語のみで注文し、商品を受けとる荒業を毎回披露していた。


自分もあだ名で「へいちゃん」とよばれていたが、それを「へいじ」と呼びだしたのも、くにお。
本人曰く、ちゃん付けが面倒くさい。と言った理由。
同期だが5つ位年下の男だったが、同期は同期。先輩は先輩。後輩は後輩。と、年令関係なく、縦社会をきっちり理解していた男だった。そのため、未だに会うと鉄平と同い年な感覚になる(笑)


くにおとのKAIENTAI-DOJOの旗揚げ第一試合

TAKAみちのく代表に、初めて!?ガッチリ誉められた試合。


対戦相手がくにおでなければ、出来なかった、プエルトリコでの修行の成果や、KAIENTAI-DOJOのイズム、スタイルを
体現できた試合。


そして、鉄平の引退試合では、敢えてその第一試合を進化させる事に挑み、鉄平をしっかり介錯してくれたのも、十嶋くにお。

鉄平の語るK-DOJOの物語には、必ず登場する最重要人物。


それが、十嶋くにおだった。


今日のエピソードは、この辺で。

明日は、更新が遅れます。
たぶん、ブログメンテナンスが入るので。
ご了承下さい。


では、今回はこの辺で。


今日は、朝からレオマへ。
活動期間が残り僅かな、レオマHIROZを観劇してきた鉄平です。

鉄平が、30歳になるか、ならないかの時期にK-DOJOのGETとRAVEの2リーグ制もちょうど終演を迎え、再び1つに戻った際、たくさんの別れがあり、また、ちょうど膝の怪我で欠場していた期間だったので、様々な葛藤がありました。

レオマHIROZの皆さんを、自分と重て見ている鉄平としては、当時の自分がしていた葛藤と同じか、それ以上に、皆さんは、毎日葛藤しているんだろうなと。

当時の鉄平は、自分にできる小さなことだけをただ繰返し、それでも腐らず、プロレスが、再びできる事だけ信じていました。

そんな復帰前にRAVE最終興行で見せた、vsマイクリーjr.とのエキシビションマッチは、奇跡の作品でした。
再び、プロレスをするための迷いが消えた、そんな作品。

まだやれることはいっぱいあるんだと、再認識し、そして、必ず復帰するんだと決意できた瞬間、すべての迷い、葛藤が消えたんだと思います。


さて、話は、プエルトリコ編第9夜です。


様々な講師陣が、DOJO生の為だけに、その確かな技術を惜しみ無く見せて頂きました。

そんな講師陣の最後に登場したのが、この方



新日本プロレス、真壁刀義さん。(当時は、真壁伸也)

海外無期限の武者修行中だった真壁さんが、たまたま、プエルトリコに流れ着いたのでした。


そこで見たプロレスラーを志す、卵達。

親分肌と言うか、アニキ肌な感じ真壁さん。

必然的にDOJO生達の面倒をみてくれると言う奇跡的な共同生活が生まれたのでした。

道場での練習でガチガチのストロングスタイルに触れたDOJO生は、小手先の技術ではなく、戦いと言うものを植え付けられたのでした。

また、真壁さんが来られた頃より、DOJO生は、「カミカゼクラン」として、IWAプエルトリコの興行に出るようになっていく。

直訳すると、「カミカゼクラン」=神風一派。

要は、真壁さんのセコンドとして、ヒールの一員として、お客さんを煽る、賑やか師的な要員。
セコンド業務は、TAKAみちのく代表が常にその重要性を口にする。
セコンドの動き1つで、良い試合もダメにするし、その逆も。
お客さん、カメラマンの位置、試合の間、そして何よりタイミング。

実際に試合をするのではなくとも、表舞台で、しかも、ヒールのセコンドをするのは、デビュー前のDOJO生達には、貴重な経験でした。




そんな、真壁さんとカミカゼクラン。
たまたま、ポートレート用の撮影をした時の1枚。

しかし、この後、真壁さんのコスチューム変更に伴い、闇に葬られる事に、、、。

なので、陽の目を見せてあげようかと(笑)

やべぇ、真壁さんに許可取ってないけど、、、。まぁ大丈夫やろ、、、。

たぶん、、、。


何か起きたら、後日ご報告いたします。


ちなみに、写真の人物は、真壁さんの↓が世界のMIYAWAKI、鉄平の↓がハンサムではない頃のJOE(笑)

IWAプエルトリコでのサーキットの模様は、また別の機会に。真壁さんとの珍道中は、たくさんの思い出があるので。

今日は、寝落ちのため、更新が遅くなりすみません!

明日のブログでは、、、各同期とのエピソードを書いていきます。

では、今日は、この辺で。