そんな やんちゃな反面
子供の頃は泣き虫でよく母に怒られていた
「これ以上泣いたらお灸すえるで!」って しょっちゅう言われてた
隣のボスのおばちゃんは 母に
「あんた もう怒ったりな」って言ってたのを覚えてる。
ボスでも いいおばちゃんだったなぁ
でも 母も僕をあまやかして育てたから
こんな泣き虫に育ったんやって思っていた。
幼稚園で工作の時間など
どうやって工作すればいいのか わかんなかったりしたら
すぐ泣いて みんなの気をひいて教えてもらったり、
小学校時代も誰かが喧嘩してたら
仲裁に入って 逆に殴られて泣いたりしてた。
当時の写真を見ると泣いてる写真が多い。
近所では よく泣くって有名だったようだ。
二人目の子供は母の産道が狭かったので生まれる途中窒息死した。
でも母はあきらめず
再度挑戦して 僕と同じように帝王切開で僕の弟を生んだ
帝王切開を二回もするとは母は強しだ。
父は四国生まれで 宗教は仏教だったが
大阪に来て キリスト教の教えに感激して キリスト教の信者になった
教会で母親と知り合い ラブラブになったらしい。
母は生まれながらのクリスチャン
母の妹が神学校に行って牧師さんと結婚したので
毎週のように僕も両親に連れられ 母の妹夫婦の教会に行ってた。
僕はといえば、教会に行ってたのは小学校低学年ぐらいまで、
それからはほとんど教会には行かなくなった。
なぜか 教会の雰囲気が かたっくるしくて、行かなかった。
中学校に入るまでにも いろんな塾に行った
YMCAとかそろばん塾 絵の教室 習字 ピアノ 水練学校
でも 勉強が嫌いなので 適当にさぼって長続きはしなかった。
水練学校なんか その学校に行かず
近くの市民プールに一人で行って泳いでた。
両親は初めての子供なので 僕に大きな期待をしてたみたいだったが
とんだ誤算だったみたいだ。
中学校になると進学塾に入れられて
(その当時有名な入江塾 灘高 ラサール高に
毎年何人か合格する塾 入塾するのに丸坊主にしないと入れない)
成績順にA~Fクラスまであったが 僕はFクラスの真ん中位だった。
その塾は毎日あったので中学校の友達と遊ぶ事ができなくなったが
やはり類は友を呼ぶで 塾の中で遊び好きの友達ができた
授業をさぼって百貨店の屋上のゲームセンターで ゲームして遊んだり
商店街をうろうろしてた。その塾も運よく?
引越しすることになったので辞めてしまった。
中学校の時に転校して また新しく友達もできた。
その中でも 一番仲のいい友達は頭が良かった。
友達どうしで 和歌山の日の岬まで
泊りがけでサイクリングに行ったりもした。
僕はちょっと変わってて 中学 高校でも
学校で言う 不良グループとも仲がよかった。
誰とでも気さくに話せる 悪く言えば八方美人だった。
高校は新設校の第一期生。クラブは水泳をしたかったが
まだプールができてなかったので しかたなくバスケット部に入った
高校3年の頃にはいつの間にか彼女ができてた。
大学進学を目指して一浪したが予備校でも
たまたま同じ高校の友達といっしょになり ほとんど勉強せず
一浪後 大学の夜間に入学したが途中で辞めてしまった
ほんと親泣かせだったって思う。
それから家の近くの鉄工所に就職した。
その頃中学で仲の良かった頭のいい友達は
大学の医学部にいたが 持病を苦に自殺してしまった。
しばらくの間 友達の事を思い出し一人で泣いてた。
父は僕が小学校の頃から糖尿病で
療養のため故郷の高知に一年程居たが僕が22歳の時
心筋梗塞で他界してしまった。
危篤との連絡を受けて弟と母と3人でフェリーに乗り高知に帰ったが
病院に着いた時にはもう手遅れだった
大阪への帰りのフェリーでは家族三人暗かった 母はほんと悲しんでた。
当時 弟は中学生だったので父が亡くなってからは
母に小遣いをもらうのは気がひけたのだろう。
僕に小遣いをせがむようになった。
弟も高校卒業後就職して 東京に転勤になった。