今頃この頃 善徳女王(18) | りんのブログ(^O^☆♪

りんのブログ(^O^☆♪

アンニョン‼︎
思ったことつぶやいてます〜( ̄◇ ̄;)
暇なら遊びに来て下さい‼︎
キム・ナムギルさんのファンです*\(^o^)/*

では今日は、武烈王(ムヨルワン)です‼︎
武烈王(ムヨルワン)602年~661年没 金春秋(キムチュンチュ)
第29代王(在位654年~661年)
父、第25代王、真智(チンジ)王の息子、金龍樹(キム・ヨンス)
母・第26代王、真平(チョンピョン)王の娘、天明(チョンミョン)公女
(「旧唐書」「新唐書」には、真徳(チンドク)女王の弟と記される)
{F14863C0-9119-4F6E-B1FA-DFBF17289F95:01}
『善徳女王』金春秋役  ユ・スンホ
{48FB313F-C0B8-4167-BD45-65AD9475717B:01}
『大王の夢』武烈王、金春秋役チェ・スジョン
654年真徳(チンドク)女王死去後、真骨(チンゴル)の身分でありながら、王に即位
654年理法府の令(長官)に命じて律令(東アジアで見られる法体系で、律は刑法、令はそれ以外の行政法、訴訟法、民事法を調べ、理法府格60余条を制定。律令制度の基盤を整備する。
金剛を上大等に任命、文忠を中侍(執事部の長官)に任命、官位の低い貴族を能力本位で要職に付けるようにして、旧来の中央貴族による上大等制度と新興の執事部による制度との競合を図り、王権強化に努めた。
655年高句麗、靺鞨(唐の東北部、現在のロシア沿岸)、百済(麗済同盟)が攻め入って、北部辺境の33城が奪われ、唐に使者を送って救援を求める。唐は、蘇定方らを遣して、高句麗を攻撃。
658年文忠を伊飡に引き立て、中侍に王子の金文王を任命
659年百済が国境を侵して攻め込んで来た為、唐に出兵を求め使者を派遣
660年唐は百済討伐の出兵を行う。唐と新羅の連合軍で百済討伐
義慈王(ウイジャ)の投降により、百済は滅びる。
660年上大等金剛が死ぬと後任を金庾信を充てた。
661年唐と連合して高句麗を滅ぼそうとした(麗唐戦争)が軍を北上させている途中で、病に倒れて、陣中で病死、息子の文武王(ムンム)が即位した。
『日本書紀』に、美男子で話術がうまく、多くの人の心をつかんだと記録されている。
新羅王の直接支配軍が拡大
位の低かった地方豪族や投降した敵将など中央貴族の私兵に属していない層を重視して、軍事組織を整備
律令制度の整備
654年に行った。
律令と軍事組織を整備し作り上げた基盤を元に、668年高句麗を滅亡させ、文武(ムンム)王が、真興(チヌン)王の遺志「不可能な夢」である三国統一を成し遂げる。

この後、8代に渡って直系子孫が王位に就き120年間続く。

善徳女王で出てくる王族は、一先ず、終わりにします。
ここまで、お付き合い頂き本当に本当にありがとうございます!!
登場人物やまだまだ、物語に大切な人物が出て来ませんが、歴史と合わせてまとめてみました‼︎  さて、次から何を書くかお楽しみに~ニコニコニコニコ